追悼 ジョー・ブライス

若冲を見いだしたことで知られるコレクターのジョー・ブライス氏が

なくなったというニュースを見る。

少し前に、コレクションの一部を出光美術館が購入し

一部を展覧していたので、いろいろ考えていたのかもしれない。

これだけのコレクションを、よくふさわしいところに引き取ってもらったものだ

と感じた。

個人コレクターであるにもかかわらず、作品の公開や若冲の再評価に

力を注いだことからも、幸せで志の高いコレクター人生だったと思われる。

 

 

はじめてブライス氏のコレクションをみたのは

もう随分前、都内での展覧会としか覚えていないが、

その展示方法は画期的で秀逸だった。

朝昼夕と光の変化を再現して、刻々と変わる光をあてられた障壁画や屏風の

見え方の違いがありありとわかるようなものだった。

 

 

日本画は生活に根ざした場所に描かれ飾られる。

日常の生活の中に置かれる作品として、絵師は変わりゆ季節や光を計算して

様々な工夫を凝らす。

作品だけを切り出して、美術館の展示室というホワイトキューブに展示し

一定の光のもとで見せることで失われるものがあることを初めて知る。

光が変わるたびに違う表情を見せ、その表情までも計算する絵師の技術を

この展覧会でつぶさに見ることが出来た。

 

 

日本画、と呼ばれるジャンルの作品の、光によって趣を変える美しさは

ほかに例を見ないともいえるかもしれない。

当時は、それを外国人に教えられるということにある種の感慨をもったことを

覚えている。

 

 

追悼記事を辻惟雄が書いている。

この人の「奇想の系譜」にも影響を受けたが

作家の評価、作品の評価というものはなかなか一筋縄ではいかない

という思いを新たにする。

西欧美術の文脈では、それまでの美術史が整理され、

その後の新しい技法やコンセプトが整理されて作家の評価が定まる、という

一定の方法が確立している。

それでも、この本の奇想の作家たちのように、

どの系譜にも属さないような作品に改めて光を当てる研究で、

美術史が一変することもある。

 

 

コレクターのあり方、作家の評価の仕方。

これを機に、じっくり考えてみようと思う。