女流落語家、という業

談春さんのお弟子さんの子春志さんが襲名披露の興行中。

きちんとした、古式ゆかしき襲名披露は国立演芸場で済ませており

こちらは本当の意味でのお披露目、披露興行。

ゲストも師匠の人脈を生かして豪華、恵まれたスタート、というところ。

 

 

ネタ出ししている新真打ちの演目とゲスト、

それに自分の都合を考え合わせるとどこを選ぶか、なかなか難しいが、

そもそも売り出しの時点で、ご贔屓筋で売り切れている日もあり。

もたもたしている間に、チケットは手に入らず、で。

 

 

師匠のファンサイトにアップされた

真打ちの認定証のような揮毫の文言を見て

また、随分ハードルの高いことを、と眺める。

 

 

「女性に共感を得る芸を望む」とあるが

なかなかどうして、これは大変な難題かも、と。

こはる改め子春志さんは師匠譲りの男前の古典落語が身上。

着物も男物の着流し(正装は黒紋付の羽織、袴)、髪もショートカットで

声質も、おそらくは地声とはほど遠く、壁に向かってどなるように発声して鍛えた

とのことで、およそ高座姿からは女性性は排除されている。

啖呵も、師匠の芸風からすると当たり前だが、これも一丁前で、

まあ、男前、と意識することもないほど男前の芸風である。

 

 

女流落語家は、女性の視点を生かした創作落語などで個性を出す人も多い中

この人は、ある意味、潔さが際立っており、振り切ったそれが個性でもあった。

古典落語では、その登場人物の女性は、男の理想の女性を表すといった風情で

現代の女性がそれほど共感できる登場人物は本来はいない、と思っている。

もちろん、人の情、子や係累とのかかわりなどには普遍的なものはあろう。

昭和の世代にとっては、夫唱婦随も当然の時代でもあった。

 

 

現在と比べて人権意識がどうこうと、そこまで言うつもりもないのだが

現代からすれば、あきらかに理解しずらい部分も(女性性にかかわらず)

あれこれと。

 

 

古典落語も時代に応じて変ってはいくのだろうが

その根幹にあるもの、奇しくも大師匠の談志さんの言った

「落語とは人間の業の肯定」というもの、

それ以前に男視点の物語、という構造は厳然としてある、わけで。

 

 

また、随分と高いハードルを、と思いつつ。

披露興業というご祝儀相場が落ち着いた後で

師匠の宿題をどうするのか、じっくり聞きに行こうと思っている。