「ゴジラ-1.0」のアカデミー賞受賞で

ゴジラの新作映画がアカデミー賞視覚効果賞を受賞した、ということで

あらためて監督のインタビューなどが放映されている。

印象に残ったのは、時代を遡ったというよりは

ゴジラは昭和の物だから昭和の時代で作ったということ。

そして、今までは、常に現代の日本にゴジラが現れるという想定だったが

そうすると「シンゴジラ」を越えるのは難しい、ということ。

 

 

一瞬でストンと腑に落ちた。

映画の時代設定を見て、ああ、勝ったな、と思ったのは

そういう理由からだったのか、と。

 

 

ハリウッドの大作映画に比べて、桁違いに安い予算でこの賞を受賞したことや

おそらくは機材や人材にかける金額もはるかに低額だったのだろうが

これにより、日本映画も世界を狙える、となると

回収できる金額も大きくなる、ということも触れていた。

特撮映画などではお約束の(お家芸的な)創意工夫の歴史、

そういった職人芸が日本人は得意なのだという言説もあるかも知れないが、

物量だけで勝つのは確かにあまり面白くはない。

 

 

単なる判官贔屓というよりは、それなら誰だってできる、という

強がりにも似たこころもちで、

別の道・ブレイクスルーを探してみる。

最初のアイデアだけなら、割に多くの人が思いつきはするが

その最初のアイデアから更に粘って研いで磨いて

桁違いのブレイクスルーができたのなら、こんなに痛快なことはない。

 

そう、桁違いの。

ブレイクスルー。

かっこいいよね。