川崎の芸術祭にて

志の輔さんの独演会。

チケットが意外にもとれて出かける。

新百合の芸術祭は、立派なプログラム冊子を拝見したところ

クラシック音楽に日本の伝統芸能という「古典」尽くしの内容。

 

志の麿:狸賽

志の輔:ハナコ

ダメじゃん小出:コメディパフォーマンス

志の輔井戸の茶碗

 

会場は、この公演だけ宮前区のホールのようで

少々古く、2階からの入場のせいか

らせん状に階段を何周かおりて1階席にたどり着く。

椅子のクッションが古く、かつ絶妙に腰痛持ちを不安にさせる角度で

手持ちのものをまるめて腰に当てつつも暗雲がただよう。

 

最初に出てくるお弟子さんは2つ目になったばかりか。

緊張もしており、声も張りすぎではあるが

後半は落ち着いてくる。

コメディパフフォーマンスは、県内ということなのか

にぎわい座でおなじみの芸人さん。

井戸の茶碗は力みのない円熟の境地で

余計なものを感じずに心地よい。

 

さて、伊能忠敬の落語が聞きたいと思うものの

なかなか聞けずにいる。

大忠臣蔵のようにネタだししてくれないかな、と

ちょっぴりのリクエスト。

ヒルビリー エレジー

連休中にたまたま「ヒルビリー エレジー」を読んでいた。

トランプ政権を誕生させたアメリカの労働者階級の生活実態云々を抜きにしても

子供の成長に何が欠けると何が起こるか、という

ごくシンプルな実験のようでもある。


愛情を注ぎ、自己肯定感を持たせてくれた祖父母

必要な働きかけをしてくれた周囲の大人や

やがて伴侶となるガールフレンドの上流階級へのナビゲート、

自分の努力によって

そこから這い上がった弁護士の回顧録だけに

圧倒的なリアリティがあり、訳もいいのか大変読みやすい。


今でも感情をコントロール

厳しい場所で生き抜くために身につけた

「平穏な生活を送るためには困る考え方」との闘いに明け暮れる。

自分たちのコミュニティでは、誰もがこの手の闘争心を

持って暮らすために、家庭生活を穏やかに送るには

コミュニティ外で伴侶を持つことが重要であるらしい。


子供として、安心できる環境に育つことができた幸運には

感謝をしなければいけない、それは決して当たり前ではないのだと、そんなことも。


連休中に聞きに行った志の輔さんの落語の話は

また後日。

人生の最後に レディプレイヤー

スピルバーグの映画、エンタメてんこ盛り、VRの世界。

おやおや、と思いながら見に行くと。


50代、60代にはしみる展開で。

出てくるアイテムは懐かしく、ロングセラーもあるが

これ全部懐かしくわかるのって何歳くらいだろう、などと。


人生の最後に、自分の後悔を鍵にしたゲームをつくり

それを解いた人に自分が作りだした壮大な仮想空間の運営を任せる

という筋自体が。

久々に感受性の蓋が少しずれるような思いで。


人生の最後に、自分なら何を作る?


そんな問いかけをされた気分もあり

これから何をするの、と問われた気分もある。


若い子も楽しめる映画の中に。

いやいや。なかなか。

三月歌舞伎 仁左衛門と玉三郎門と玉三郎

仁左衛門玉三郎という若いころからのゴールデンコンビ。

久々登場とのことで、さすがに見たいなあ、と

チケットをとっていただけたので、でかける。


土手のお六とはお染久松の強請のくだりの悪党夫妻の片割れ。

あだな強請の場面もいいが、旦那もまた魅力的で

悪事がばれてもしれっと出された金をつかみとり

声をかけられれば居直ってにらみを利かせ

はては小道具に使った駕籠を、「おい片棒担げ」と

女房に声をかけ、最後はふたりで運びだす。

なんとも。湿っぽくならないしたたかさが素的だ。


神田祭はうってかわって

いなせな美男と粋な美女の、どこをとってもの姿の良さ。

いよっご両人と声をかけたくなる場面の数々。

花道で頬を寄せ合い、照れて見せるところまで

まあ可愛らしくも素晴らしい。


滝の白糸は、若手主演で玉さまは演出に。

せりふの多い芝居だが衝撃的なラストを見て

これも心中か、とあれこれ思いあぐねる。

自分が年を取ったせいか、これはこれ以外に成り立たないのか

生き延びるすべはないのか、と思いを巡らせるが

若さゆえ、一途ゆえに、追いこまれてするのが心中だからとも。


滝の白糸は舞台転換も多く終演も遅くせりふも多い。

お目当てもでないしと、2演目終わったあとは空席もパラパラ。

とはいえ、これはこれで若手の頑張りも見れて

久々の歌舞伎、十二分に楽しんで家路に。

立川談春独演会

久々贔屓の会。

武蔵小金井の会場で開演までに併設のギャラリー

学大生の金属工芸展を拝見。


談春:おしくら

談春:不動坊

中入り

談春:夢金


おしくらも不動坊もかつて聞いた威勢のいい芸風と少し違って

なにやらゆったりとした風情。

声量を絞っているのは、タバコを半年前にまた吸いはじめたせいか

喉の調子が悪いのか、あるいは喉を保護しているせいか。


夢金は、この人の語り口の落語絵本というのを見ていたせいもあり

そのときの絵の素晴らしさも思いだす。


もともと落語は語りだけでいかにその景色を目の前に浮かばせるか

というのが勝負の芸能ではあるが

雪の吹きすさぶ寒い晩に、風と雪を全身に受けて

渾身の力で(酒手をくれないかと欲を出しながら)船をこぐ

その場景が鮮やかに広がる。


それと感じさせはしないものの

声の調子の悪さがそこかしこに。


タバコをやめて、それとも仕事を少し絞って養生するか

本格的なボイストレーナーについて無理のない発声方法に切り替えるのか。


なににしてもまずは養生を。

関内寄席ネクスト

今や落語評論のほうで有名になった広瀬和生氏

(本業は洋楽専門誌の編集長)が選ぶ若手の競演、

関内寄席ネクストの第2回。

関内ホールが改修中で使えず2回目からは外会場。

今回は吉野町市民プラザにて開催。


チケットの電話受付の人は売り切れないから当日券で大丈夫

といってはいたが、念のため購入したところ会場も小さいせいか完売とのこと。

曇天でちらちらと白いものが舞う底冷えのする日で

完全防寒で出かける。


立川吉笑:くじ悲喜(新作)

立川こはる三方一両損

中入り

柳亭小痴楽明烏

三遊亭粋歌プロフェッショナル(新作)


出の浅さは関係なく4人の独演会を集めたようなもの

といいながら吉笑さんの「くじ悲喜」。

誰が主人公なのか想像しながら・・・とマクラでいいつつ

なんと紙の三角くじ同士が語る人生(くじ生?)という奇想天外な噺。

立川流の鬼才、というのがどうやら関内ホールのつけたキャッチだそうだが。

完全に発想から入るタイプだが、笑いもあって聞きやすい。


ついでこはるさん。

自分だけ、関内ホールでの評は「談春の弟子」

これじゃどんな落語家かわからない、とふてて見せるが

正統派の啖呵が見せ場のいなせな三方一両損

細くて小さな体で大音声の熱演。

きれいで現代的な古典、喧嘩っ早い江戸っ子の啖呵が見せ場。

女流っぽくなく、骨太で。って、やっぱり談春の弟子、でいいんじゃないかと。

NHKの演芸大賞の決勝戦の時は、並みいる先輩がたと比べて

きれいなだけじゃなあ、と思ったのだけれど

このごろは笑わせたり、はじけたり、ぐだぐだだったり

意識して振れ幅を大きく演じている様子。


中入り後、小痴楽さん。

お腹を壊して実家の母親に頼ったが邪険にされた話しや

故柳亭痴楽(実)の昔の落語家らしいぐだぐだなエピソード

素敵でそれらしい。

明烏も、少し間違えるくらいでちゃんと覚えてますよ、といいつつ

まずまず達者で今回は楽しい。


最後は粋歌さん。

年齢もあってかそれまでの3人のような前のめりのテンションはなし。

が、落ち着いて枕を振り、得意のOLネタというよりは人事ネタともいうべき新作。

小生意気で頭でっかちな新人が工場のライン作業の研修を嫌々受け

ベテランのおばさんたちの小言や仕草から推論しトライ&エラーで

QCサークル張りの創意工夫をしてスピードをあげてゆき

製造ラインのベスト記録を出すというもの。

番組のBGMまで使い、ほろりとさせるエピソードも要所に入り

うっかりすると感動しそうな構成と展開はさすが。


いろいろな二つ目に会えると嬉しいこと、と思うのだが

諸事情で次回以降は来るのに苦労しそうな予感が。

とはいえ、先のことを憂いても仕方ない。

落語国の住人に倣って、今この時を愛おしむ。

気のせいか、帰り道は寒さも緩んで。

やっぱり落語は、よいよい。

ディープラーニング以降

ふと見たTV番組から、そのシリーズを3回ほど見る。

動画サイトで探してバックナンバーを見て

さらにその講師のディップラーニング以降のAIについての本を

2、3取り寄せて読んでいた。


久々にかなり集中して読みこむ。

すでに3年ほど前の本になるが基本的な考えを押さえるには十分で

読むたびにちょっとした発見がある。


特徴量をとらえての簡潔ないい方というものが昔から好きで、

自分も常にそういう言い方をしようとする。

それがある種の人にとってはどうやらわかりにくいらしい

ということに気づいたのはいつ頃なのか。


行間から広がる連想や沸きあがる概念。

面白い、久々に。

何か書いてみるか、と考えるのも久しぶり。

楽しいな、それも久々だが。