人新世の資本論

毎日のように理不尽な戦火の映像が流れて、気分が沈む中、

話題の書を、今頃ようやく読む。

世間一般の人からすれば、マルクス資本論コミュニズム

ああはなりたくない、という国々の制度でしかなく

ここにはマルクスの晩年の思想とその新解釈があり

それなりの説得力をもつのだが、いかにも分が悪いかもしれない。

 

 

自由に慣れて、資本主義にどっぷり浸った世の中が

それほど簡単にはかわることもないだろう。

とはいえ、気候変動で激甚化する自然災害や

温暖化による植物相の変化と作物の高騰などなど身近な話題も多く

今、行動しなければ将来世代どころか

現役世代でもかなりの不都合が生じる、ということは

うっすらと共通理解もできてきている、ということか。

 

 

日々の生活や仕事に追われ、現状の社会の前提、成り立ちについて

考えなおすことなく、”ライフハック”といった、いかに現状の社会に適応して

うまくやるか、という目先のテクニックばかりが溢れている。

本来はもっと大きな視点での考えが必要なはずなのだが。

 

 

コロナ禍と、それに伴うテレワークの普及でごく一部の人は通勤から解放され

浮いた時間で、何が自分に取って大切かといった本質的なことを

考えはじめ、sれにより行動を変えた人もいるかもしれない。

とはいえ、多くの人は、相変わらず目の前の生活と大量の情報に追われて、

常識を疑ったり、その前提をはずして考えてみるということに

思いがおよばずにいる。

(というよりも、慣れた常識の中にいるほうが居心地がいい)

これは自分にしても同様で、少しの間、時間に恵まれた生活をしていたにも

かかわらず、それをうまく生かすこともできずにいた。

 

 

桜の季節が廻ってくる。

芽吹く春がくるというのに、何百万の人が家を、国を追われている。

あらゆることがグローバルにつながる社会で。

何からどう、と戸惑いつつ。