NHKの「欲望の資本主義」を見返していて
パンデミックはこれからの社会で起きることのある種の予告編だ、
というセドラチェクと斎藤幸平の対話を聞いていて
なかなか予言的だった、と思う。
とはいえ、日常生活は淡々と(外的事情に振り回されながらも)
続くことになり、
「江戸に疎開していました」と明言を残したが)
落語国にしばしの疎開、と落語会にでかける。
横浜の公設の寄席での談春さんの会。
この寄席ができて20周年、その記念公演とのことだったが、
市長が変わり逆風が吹いている、という。
のちに関係者に会う機会があったが、文化よりもかける先がある
とのことで予算が随分削られた、とのこと。
談春さんのマクラ、というか噺の後の雑談では
ウクライナ情勢を今の落語界の勢力図になぞらえて
爆笑を誘っていたが。
立川流も某国もこのままではじり貧になり20年後はない、
という危機感はそれとして、
育成に15年はかかる新弟子のお披露目があったことからすると、
それなりの考えはあるのだろう。
考えてみれば15年もかけて育ててもらえることを
ありがたいと感じるか、そんな悠長では話にならないと思うのか。
ゆっくり育てられるほうが、しっかりしたものになる
という一般論の傍ら、時期を逃すと成長が頭打ちになる
ということもあり。
この日の演目は、ここで20年前に談志さんとの親子会で披露した演目
とのことだったが。
でてくる男は皆最低、という思いが、下げの一言で反転し
笑いに変わるさまは、見事。
春次郎:十徳
談春:包丁
仲入り
好きなものに触れられる、ことの幸福を
あらためてかみしめる。