「欲望の資本主義」を読む
NHKで放映された同名の番組のこれは書籍化になる。
番組も見ていたはずだが、最初の方は見逃していたかもしれない。
いろいろと示唆に富んでいるのだが、
とりわけ、経済学者のダニエル・コーエンがいう
「全員が芸術家のように生きねばならない社会の到来」という一節に
ああ、それは大変なことだな、と思う。
たとえば大学教授が講演をするとして
いつでもどこでも動画再生される世の中では、同じコンテンツで違う人に
という手法が通用せず、
常に内容のバージョンアップか新しいコンテンツ(業績)の開発が必要になる。
エンタメの業界ではすでに、アーカイブ(旧作)だけではサブスクに価値が逓減し
常に新作を作り続けなければならない、という速いサイクルにはいっているが
同じことだろう。
あらゆるルーチンワークがいずれAIに代替され、人間の労働は(ごく一部を除いて)
非ルーチンワークになる、という強迫観念は人を疲弊させる。
常に自己の力や相対的な価値を測り続け、アップデートを続ける必要があるからだ。
どんなに才能があっても、実績を上げるまでには一定の時間と訓練が必要で
かつ生産的にガンガンやれる時間(時期)もまた限られる。
生涯を通じて常にクリエイティブ(イノベーティブ)な状態を保ち続けることは
一部の天才を除いてはかなり大変で、多くの人はある時期を過ぎると
経験を生かし後進の育成に力を注ぐ位置にスライドすることになる。
そこから考えても。
さて。
「ズームバック・オチアイ」を見ていたら、落合氏が抹茶を立てて飲んでいた。
見るからに甘いものを摂取しそうにない人だが、お菓子はなし。
確かにいいお抹茶はそれだけで甘くておいしいので重たいお菓子はいらないだろう。
とはいえ、疲れた時は、季節のものをかたどった小さな干菓子なんぞがあると、
一息いれる際に、時間の流れが少し変わる。
個人的には、鳩の形をした小さな豆雁が(季節には関係ないが)
ころんとした形ともども好きなのだが。
夜が長い季節になる。
本と一緒に、おいしいお茶と小さなお菓子を。