騎士団長殺し

そういえば、読んでいなかった、と今頃になって手にする。

村上春樹は、『神の子どもたちはみな踊る』以降は、

どうもあまり好きになれず。

いまだにベストは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で

ねじまき鳥クロニクル』のあたりから文体とテーマは完成されたのだろうが

私の好きな作家ではなくなっていった気がしていた。

 

 

騎士団長殺し』は、肖像画というちょっと特殊な絵をかいている画家が主人公で、その点も興味を惹かれた。

上巻を読み終わる頃は久々にワクワクして続きを読みたかったのだが

下巻の最後は村上春樹にはめずらしく幼い子供が出てくるのだが、

ちょっと今までにない幕切れで納得感もないし肩透かしのよう。

 

とはいえ、久々に面白く読んだ。

時間があっても小説を読む気になれずにいたのだが。

また少し、話題の本を手にしてもいいのかも、と。

騎士団長殺し

そういえば、読んでいなかった、と今頃になって手にする。

村上春樹は、『神の子どもたちはみな踊る』以降は、

どうもあまり好きになれず。

いまだにベストは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』で

ねじまき鳥クロニクル』のあたりから文体とテーマは完成されたのだろうが

私の好きな作家ではなくなっていった気がしていた。

 

 

騎士団長殺し』は、肖像画というちょっと特殊な絵をかいている画家が主人公で、その点も興味を惹かれた。

上巻を読み終わる頃は久々にワクワクして続きを読みたかったのだが

下巻の最後は村上春樹にはめずらしく幼い子供が出てくるのだが、

ちょっと今までにない幕切れで納得感もないし肩透かしのよう。

 

とはいえ、久々に面白く読んだ。

時間があっても小説を読む気になれずにいたのだが。

また少し、話題の本を手にしてもいいのかも、と。

資本主義の行方

年明けにBSの番組「欲望の資本主義」を見る。

どうも字幕というのが最近は視力が落ちたせいもあり見ずらい。

何度か巻き戻しながら見終わる。

 

 

このシリーズの過去の放送分をまとめた書籍も読んだが

最も共感できたのはチェコの経済学者セドラチェクの言説、

「脱成長」。

今回の番組では、コミュニズム復権を唱えて話題の

日本の経済学者・斎藤公平との対談が番組後半の多くを占める。

 

 

討論は勝ち負けではない。

が、終始押され気味に見えるセドラチェクに私としては共感をする。

迷いのないまだ若い(それゆえ極論にもなりうる)斎藤の論調を、

「どういったらわかってもらえるのか」と悩みながら答える様子に。

 

 

脱成長ということが、資本主義とは相入れない、そこから

来ていることは確かなのだが、もはやこのままではいられない。

共産主義の失敗と惨状を目のあたりにした世代としては

「歴史に学べ」といいたいところなのだが・・。

 

 

並行して、与那覇潤『中国化する日本』を読み終わる。

なんだか一通り得心した気になるが、ここからもう一度

『平成史』に立ち戻ると著者のいう絶望も希望も少しはわかるのかも

しれない、と。

 

 

脱成長に至るまでには、まだもう一段、選択肢がある。

それがどういう結果になるかはわからないがスウェーデンモデル

があることは確かだろう。試してみる価値ある実験として。

ただ、そこそこの福祉・低負担を求める日本の国民が

そちらを選ぶかどうか定かではなく、

とはいえ、成長というものに縛られる指導者層が

すぐに脱成長にも共産主義にも舵を切るとは思えない。

 

 

年始にふさわしい問題提起だったと思う。

いやおうなく、何を選ぶかを問われるのだろう。

そして曖昧な日本モデルというものが、何か素敵な「ブロン」

星新一の作りだした造語。このショートショートは印象的で

 自分でもよく比喩として使っていた)

が現れることを祈りつつ。

 

 

まずはオミクロン株の行方を注視。

 

 

 

目黒にて談春さんの会

新春公演なので初春気分の仕掛けがあるかしらん

と思って出かける。

公園の中のホールは日が落ちると真っ暗で足元も見えず、

折からの寒さもあり寂しい限りだが、

その中で灯のともるガラス張りのホールのロビーが見えてくると

たいそうきれいな幻燈のようでもある。

 

 

こはる:権助提灯

談春:替り目

仲入り

談春文七元結

 

 

セットに、地味に手間がかかっている。

背後は開口一番からが障子に薄青い明かり、仲入り後はふすまに変わっている。

コロナ下でもあるから、ロビーには何もなく、チラシも2枚だけ座席におかれている。

 

 

こはるさん、調子を戻したかな、と思うのだけれど。

口跡も噺のノリもよく、権助も旦那もいいのだけれど

本妻とお妾さんが、どうも同じに聞こえる。

後半のやりとりになれば、どちらもキーキーしているだけとはいえ。

それと、なんだか不思議に全体として少し皮肉っぽいというのか

意地悪な印象が。

さて、なんなのか。

 

 

こはるさんのあとに、湯呑をもってあがった若い衆。

遠めでよくは見えないけれど、良さ気な着物だったので誰かのお弟子さんか。

所作がきれいで、印象に残る。誰だったのかな。

 

 

談春さん。

晦日のさださんの公演にど頭で出演した話と「芝浜」を45分に撒いた話などから、

つい、とその場で5分ほどで芝浜を口演。

こういうものだってできるけど、ついでにいえば志らくの芝浜よりはいいだろうけど

といって笑いを取りながら、それじゃ自分の落語(のよさ)が云々、と。

続けて、さっとはいった「替り目」はギャグ(くすぐりというのかな?)の切れもよく

そこここで噴き出す男性の笑い声が耳につく。

女性ファンも増えたけれど相変わらず男性客も多い。

 

 

仲入り後の「文七元結」は、いきなり佐野槌の女将さんとの会話からはいる。

枝葉を取って核心からはいって、女将さんとのやり取りに時間をかけ

それでいて、この女将が余計なことは言わずにさっさと本質をつくものだから

ぐうの音も出ないほど説得力のある深い会話が続く。

ついで、吾妻橋でのくだりも時間を取る。

この部分は、噺の展開としてなかなか説得力をもたせにくいところだが

時間をかけて組み立てている分、自然につながる。

師匠が亡くなって何年になるの、という女将さんの問いかけに

「7回忌をすませましたから・・」というあたりは、没後10年の談志さんを

思わせる。つい、説教を食らう長兵衛さんに演者を重ねたくなる。

そうそう腕は上がらないだろうけれど、それでも後に続く若いもののために

努力し続けなればいけないんだよ、という女将さんのセリフは

自分に言い聞かせているような。

 

 

気迫のこもったいい「文七元結」でした。

新春なので3本締め。まずはコロナに十分気をつけて健康で、と。

はい、今年はいい年にしたいですね。

 

 

 

 

 

 

花緑さんの文七元結

年末に、テレビの数少ない落語番組で花緑さんの文七元結を聞く。

この番組の尺は20分。ご本人の解説というか、一言が落語の前につくのがお約束。

 

 

はじめの方こそ、多少説明的だな・・というセリフがあるのだが

後半は気にならない。

おおよそ1時間はかかるという噺を、ぎゅっと縮めて、

かつ山場も作り勢いもあって、ということで、いい出来だったのでは

と思う。

 

 

高座で前の出の人の噺が延びたり、自分のマクラが延びたりしたときに、

はしょって噺をする、そういう時は、ここを抜いて、というのがあるのだろうが。

はじめからこの尺、というのはこの番組で、それでも年末によくやるネタをかけたい

ということで狙ってのことなのだろう。

人情噺の大ネタを、おおよそ3分の1の時間でやるのだから

強弱を考えて組み立て直す、ということか。

 

 

大変面白く、そして満足して聞いた。

こういう融通無碍なところも落語の魅力なのかも。

 

 

 

 

にぎわい座年末興行

にぎわい座の年末興行に、どうやらしばらくご無沙汰だった模様。

3回目のトライでようやくチケットが取れてでかける。

いつにもまして冷え込みが厳しく、久々に冬らしい一日。

今年の公演は変則的で、昼公演と夕方からの夜公演でカウントダウンはなし。

 

 

志の太郎:鰻屋

志のぽん:二人癖

遠峯あこ:アコーディオン歌謡

寒空はだかコミックソング

生志:松山英樹フィーバー(新作)

志の八:花色木綿

仲入り

志の春:初天神

松永鉄九郎:長唄三味線

志の輔みどりの窓口(新作)

 

 

色物さん(鉄九郎さんは違うのかな)は演目名がなかったので

こんな感じかな、と。違っていたらご容赦を。

寒空はだかさんは毎度定番のネタで、これはこれで安心感がある。

 

 

さて、真打に上がった志の春さん、昼の部だけだった気がしたのだが

演者の交代があった様子。

「春が来た」の出囃子で出てきた姿が、なぜか栗色がかった金色の頭髪。

とにかく明るく楽しく、といって美容院で頼んだらこうなったとのこと。

何か悩んでいるのかしらん。

初天神だが、はて、出だしがなにか滑舌が・・マイクのせいかとも思ったが

どうも違う。歯が痛かったのかな、口内炎とか。

後半は勢いもあり気にならないからやはり何かの癖なのか。

もっとはっきりとしたわかりやすい話調だったと思ったのだが

(あれは英語落語だったのか・・)記憶違いかしら。

個人的には泰然自若とした大人(たいじん)のイメージだった気がするので、

髪色といいちょっと違和感。

出自からはインテリ芸人の枠でいけそうな気もするが、

いろいろ幅を広げるべく、試している最中なのかも。

 

 

志の輔さんは、「みどりの窓口」。

JRの経営不振からみどりの窓口自体が半減するという昨今

マイナーチェンジでまだまだ爆笑噺として通用することにちょっと驚く。

最後は、来年のコロナの終息など安寧を祈念して三本締め。

 

 

会場に置かれていた映画のチラシ「大河への道」を見つける。

伊能忠敬の死が、日本で初の日本地図を彼の業績とするために、3年間伏せられていた

という部分にフォーカスした物語になるらしい。

1月からのパルコの公演でまた話が変わっていくのかも。

 

 

来年はどのくらい落語が聞けるだろう。

頑張ってチケットを取るかな、と。

 

 

 

与那覇潤『平成史』を読む

大冊である。

平成の30年間を振り返る通史なのだが。

終盤に近づくにつれメランコリックになっていき

とはいえ、(著者の病気その他の体験を通して)最終的には

半ば開き直入りのような諦念というのか希望というのか。

 

 

これだけでは補助線が足りない気がして

斎藤環との対話本『心を病んだらいけないの?』を読み進め

なんとなく様子が知れたところで同じ著者の『知性は死なない』を手にしている。

 

 

この著者は、平成の後半(とはいえ、それほどの終盤ではなかった気もするが)

の年末に、若者の討論番組で”ちょっと上の世代”的な立ち位置で出演した

のを見かけたのがはじめだと思う。

 

 

学者という知的活動が生活の大部分を占める職業の人が

活字を読むこともできないほどの鬱状態になったことは

人生が変わるほどの体験だったと推察するが、無事復活を遂げて

今は(どうやら病の原因ともなった)学問との決別を宣言している。

 

 

那覇版『平成史』では、平成の失敗についての痛恨の想いのようなものに

溢れているが、その解題のようにして『心を病んだらいけないの?』を読んだ。

構造主義に始まり、新自由主義、ヤンキーの生態学

ゲーミフィケ―ション、発達障害ブーム、AIによるシンギュラリティ、

ベーシックインカム論などなど。

目の前の閉塞感を打ち破る新規な理論として、その新しさや斬新さが

確かにいっとき希望のように(ときには脅威として)もてはやされていた気がする。

 

 

そうして、それで。

その結果、相変わらずどこにも行けなかった、というそんな悲哀なのか。

(もちろん著者なりの希望、のようなものも当然用意されているのだが)

 

 

年末年始に、特段出かける用もない。

静かに平成を振り返るのも悪くないかな、と。