与那覇潤『平成史』を読む
大冊である。
平成の30年間を振り返る通史なのだが。
終盤に近づくにつれメランコリックになっていき
とはいえ、(著者の病気その他の体験を通して)最終的には
半ば開き直入りのような諦念というのか希望というのか。
これだけでは補助線が足りない気がして
斎藤環との対話本『心を病んだらいけないの?』を読み進め
なんとなく様子が知れたところで同じ著者の『知性は死なない』を手にしている。
この著者は、平成の後半(とはいえ、それほどの終盤ではなかった気もするが)
の年末に、若者の討論番組で”ちょっと上の世代”的な立ち位置で出演した
のを見かけたのがはじめだと思う。
学者という知的活動が生活の大部分を占める職業の人が
活字を読むこともできないほどの鬱状態になったことは
人生が変わるほどの体験だったと推察するが、無事復活を遂げて
今は(どうやら病の原因ともなった)学問との決別を宣言している。
与那覇版『平成史』では、平成の失敗についての痛恨の想いのようなものに
溢れているが、その解題のようにして『心を病んだらいけないの?』を読んだ。
ゲーミフィケ―ション、発達障害ブーム、AIによるシンギュラリティ、
ベーシックインカム論などなど。
目の前の閉塞感を打ち破る新規な理論として、その新しさや斬新さが
確かにいっとき希望のように(ときには脅威として)もてはやされていた気がする。
そうして、それで。
その結果、相変わらずどこにも行けなかった、というそんな悲哀なのか。
(もちろん著者なりの希望、のようなものも当然用意されているのだが)
年末年始に、特段出かける用もない。
静かに平成を振り返るのも悪くないかな、と。