継続するということ
歌舞伎界の名跡を継ぐ人物の降板の顛末を見ていて
考えるところがある。
若手の、それなりの実力のある俳優と、名跡の一門の若手が穴を埋め
彼らの頑張りと、おそらくは同情票も少しあって、大きな穴は空かずに
(そして好評のうちに)興業は続いているようだ。
抜けた穴は、どんなに大きくともそのうち代わりのものが出てきて
それなりに塞がり、そのうちになじむ。
そういうものとはいえ、忘れてはいけないのは
そもそも興業元がしっかりしていて、かつ厚みのある才能のプールがあるという
前提あってのこと、ということだろう。
穴を埋めるにも、その後やそのさらに後、が育っていなければ
無理矢理にでも別のポジションから人を持ってこなければならず
当然のことに、玉突き的に穴が空く。
いずれは世代交代をすることだから、興業のリスクヘッジからしても
ある程度の数の若手を育成しながらプールしていくことが必須になる。
フリーランスといえども、仕事によって人が育つ
(逆に言えばそれ以外では人は育たない)
ことから、組織としての人材管理は必要に違いない。
こうして考えてみると、自主公演で客を開拓するにせよ
興行元とは別の仕事を、芸能事務所に所属して開拓して幅を広げるにせよ
本業での地道な稽古や鍛錬をがあってこそのもの。
そして、それを積むには、諸先輩方の厳しい目にさらされる稽古をはじめ
お客さんの前での(ある程度の数をこなす)公演が
どうしても基礎になり、必要になる。
歌舞伎界は興行元が定期的に客を集めて、
年間かなりの数の公演が担保されている。
落語界では、寄席の定席がそれに当たるだろうし
クラシック業界では音楽事務所の企画公演や
(ちょっと意味合いは異なるが)プロオケの定期公演が
それに当たるのかもしれない。
興業に当たっては、それを支える(目先を変えたり演者を売り出したりする)
イベント性や企画性、年間での様々なバランスを担保する
プログラムを作るスタッフもまた必要なのはいうまでもない。
若手の育成だけでなく、中堅やその上にとっても
数をこなし、年間でも、ある程度見込みがたっている公演があることは
収入の点でも技術の鍛錬のためにも、
そして演者のモチベーションの維持や目標管理の上でも
とても大きなことになるのだろう。
そういった当たり前のことに、今回は気づかされる。
芸能や芸術を下支えするもの。
そういうものに。