小説「大河への道」を読んで

志の輔さんの小説版「大河への道」を読む。

私自身、耳で聞く人というよりは、目で読む人の傾向が強いので

活字を追うことで、いろいろ改めて腑に落ちたことがある。

 

 

伊能忠敬の人となり、地球の大きさを実測と理論値から推計する

という目的を達した後も、どうしてそれほど過酷な測量の旅を続けたのか

というのが、資料をどんなに読みこみ、想像を膨らませても

志の輔さんには腑に落ちなかった、ということだろうか。

いわゆる落語的なドラマに必須のままならぬ人生の哀感やら業=欲、が

人物像がはっきりしなくて、筋に込められず

伊能の出てこない(伊能の周囲の人のエピソードから浮かび上がる)伊能のお話し

というトリッキーな形式を取ることになった、と。

 

 

ただ。

世の中には、夢組とかなえ組がある、という言い方を聞いたことがある。

これがやりたい!ということに出あってしまい、それ以外の道が考えられずに

突き進むタイプの人と、そういう人の姿勢に共感して(巻き込まれて)それを支えたい

というタイプの人にわかれるのだ、と。

 

一度はあきらめた好きな道に(リスキーで保証のない道に)

妻子をもちで30近くで転身した志の輔さんは前者。

伊能は、これと決めた自分の道をというよりは、期待され定められた道を

選択の余地もなく淡々とでも力の限り歩んだ人だろう。

その中で幼いころにやりたかった道を

隠居後に始めることを楽しみにしていた、ということ。

人生の大部分を人の期待に添うことだけを考え、そこに心血を注ぎ人生をかけ

功なり遂げた後は、これで文句はでないでしょうと

幼いころに興味のあった「かなえたい夢」にむかって邁進する。

事情があってやむなく「かなえ組」。晩年にようやく「夢組」。

職業が自由に選べなかった身分制の時代、ということもあり。

 

 

とはいえ、人が何かを成すには時宜、頃合いというものがある。

優秀な頭脳を持ち、人心掌握も巧みだった伊能にしても

その気力体力ともに充実し、何かを成すには十分な年月を他のことに費やす。

妻に隠れて多忙な時間をやりくりし、書籍を乱読しながら

リタイア後を夢見て準備を怠らず、その功績から「余人をもって代えがたし」

と、なかなか引退を許されぬ。

残り時間を思い、千秋の思いでいたに違いない。

そして満を持して始めた学問の道は、アマチュアの歯の立つ世界ではなく

そのことに愕然としたにせよ、もっと若くにと思わなくもなかったにせよ

その中で、自分が何事かをなしうる道を周到に探し、後はわき目もふらずに邁進する。

いい年をして、大人げない。功成り遂げたのだからいいではないか、と

そんな声も聞こえてくる。確かに、うっとおしい老人でもあろう。

 

 

もともと、地球の大きさを知りたかったのは師の高橋であって

伊能ではない。

だから計算のための測量だったにせよ、その後も続けたのは

幕府から正確な地図をと「期待されたから」ではなかろうか。

この人は実務家としての才が大きく、だから最初から天文の道に進んだにしても

もしかしたら、同じように理論でなく実務のほうで功績をあげていたのかもしれない。

 

 

ともあれ、いつかは好きな道にと思い続けたあとの人生は

どういうわけか、それまでの人生の成果や能力をすべて注ぎ込んではじめて完遂する

そんな類の難事業で、これもまた、自分がやりたかったことでもあるにはあるが

「自分の心の底から沸きあがってくるもの」に動かされるというより

「人から期待され、求められたもの」のために働いたということなのだ。

 

 

それでも。

どんなに好きな道で、これ以外ない、と思い定めて進んだとしても。

人生それほど甘くもなく、ままならないことばかりだろう。

満足することもあれば、思い描いたものとははるかに離れた場所で

苦笑することも多いかもしれない。

そんななかで、ふと出会ったことや人、それに導かれて

気づけば大きな山を登っていた、そんなことだってある。

否、そういう偶然に導かれるようなことで、この世の中は

成り立っているものなのかもしれない。

 

 

 

そう考えれば、志の輔さんの「伊能忠敬物語」はまた違ったヴァージョンも

あるのかな、と。

少なくとも一番好きな道には進まなかった人には

(多くの人は子供のころなりたかった職業にはついていない)、

そういう話のほうが説得力があるんじゃないか、とか、ね。

 

 

そんなことを酷暑の夏につらつらと。考えている。