こはる ぴっかり女流会

対照的だといわれる2人だが

某所のアトラクションにて2人の並びで拝見。


片や小朝師匠のお弟子さんで

女子力高そうな、テレビ受けしそうな、春風亭ぴっかり


片や強面の談春師匠の一番弟子にして一門の弟子の中の唯一の生き残り

可愛らしい女子のはずが、男物の着物姿にベリーショート

声を潰してドスを効かせて師匠談春ばりの啖呵を切る、立川こはる


ぴっかりは「動物園」。

ちょいと今風にアレンジした上に、玉すだれを使ったかっぽれまで披露

対してこはるは「真田小僧」で真っ向から男噺。

その後にクイズと称して、魚のかたわらにつく絵のような字のようなものから、

魚の名前をあてさせるとんちクイズのようなものを。

正直、景品の設定は面白いものの、それほど論理的でもなくツボに入らない。


とはいえ。

落語は2人とも正統派。かつ高齢者向け○○教室の余興ということも

十分わかったうえでの工夫もあって。

中学校の体育館にパイプいすをならべての、底冷えのする雨の土曜日。

めくりも自分でめくって、出てくる場所は体育館の扉の外。

ブラスバンドの演奏やら、地元の警察署の詐欺防止の啓発教室の後に

と2つ目らしい営業にも気を抜かず。

頑張っているなあ、と思わせる熱演で。


そう、どの世界でも、この下積みの時間の過ごし方と了見が

その後の職業人生を決めるようなところがある。

焦らず、たゆまず、腐らずに。どうぞご精進を。

村野藤吾の建築展

駆け込みで終了間際の目黒へ。

模型、模型、模型。

研究室の大学生、大学院生を総動員したのか

また、出来不出来も多い模型群。


アンビルドの女王といわれる建築家もいることを考えると

立面の模型を作るのに難儀するたぐいの設計図があるのだろう。


諸事情で建てられなかった設計図どまりの作品?もある。

この模型で(あるいはこの展覧会のためのプロジェクトで)

はじめて日の目をみるというのも

不思議なめぐり合わせではある。


建築を学び設計する人間だけが

設計図から完成する姿を思い描けるとしたら

模型はそれを一般人にも見せてくれる

ひとつの翻訳でもあるのだろう。


こうやって、先達の想いや思想を設計図から読み取り

その業績を想像できるのもまた、同じ設計を志す人間なのだ、

とあらためて思う。

過去に学び、先達の想いや志に学ぶ。

それをここでも。

綿矢りさ ウォークインクローゼット

誰かが文芸時評で褒めていて

久々に読んでみる。


ああ、あたりだな、と。

2、3回読み直したから

かなり好きなんだろうな、と。


綿矢はデビューの時から安定感があって

私とは相性のいい作家なんだろう。

悪くない。


アラサーとかなんとか、切実だったり痛かったりする

そんな微妙な年ごろに

結婚したいのにいまだできず、仕事にも熱心でもなく。

そういう子が、リアルで等身大で、結構いかしている。


このくらい。

ほんとにこのくらいの。

精一杯さと切実さがすごくリアル。

ヤモリ、カエル、シジミチョウ

江國香織谷崎賞受賞作を読む。

子供の視点が独特で、童話作家でもある作者の

渾身の1冊、的な書評だったが

そういう部分もあり、それほどでもない部分もあり。


ひらがなだけの、子供の視点から描く世界は

新鮮ではあるが、ある種、ありがちなところもあって

ただ、読みずらいのはちょっとなあ。

7つまでは神のうち、というように

子供というのは大きな意味でこの世と未分化なところがあって

そういう、まだ人間になりきれていない

人間社会のほうを向き切っていない子供の世界・視点が

ありありと見えるのは確かにいいかな。

でも、あんまりワイルドじゃないなあ、という印象も。

何と比べて、といったら、児童文学好きなら

思い浮かぶだろうけれど。


霊園に勤めながら死者に向かって話しかけることが

習い性になってしまった男も、こういう人を知っているからか

なんだかすんなりと自然に感じられる。

話せるのに、聞こえない、という拓人の言い方も

ああ、彼からすればそのとおりだけれど、と。

この中にでてくる登場人物の中で面白いとか共感できるとか

感じたのはこの2人。

それもどうだろう、などと。


圧倒的なものを優しい筆致で書いている。

という点ではなかなか面白い本だった。

画鬼 暁斎 チームラボ、花火大会

 

三菱1号館で「画鬼 暁斎」を見る。

河鍋暁斎は今回展覧されて、どこかでは見ているのだろうが

おそらくははじめて系統だって見る。


毎日の画業の前後に

肩慣らしのようにして観音菩薩像やら鍾馗様を

鍛錬のために描いていた、と聞くと、その膨大な絵の数と

最後まで技法を追求した人生がわかる気がする。

とにかく時間さえあれば描いており

大量の、系統も様々な作品がありすぎて

(多面的過ぎて)評価が遅れた、と聞き

そういう人もいるものだ、としばし考え込む。


その人に弟子入りまでしてしまった

明治のお雇い外人(建築家)の手により

彼の画業や技法

狩野派テクニックをベースに最初に弟子入りした国芳

 浮世絵テクニックも加わり緻密でシステマティック)

日本庭園華道までを紹介したことで

日本美術や文化を海外に紹介することにもなったという。


気分を一新して、銀座に出てチームラボの新作を見る。

この人たちはファインアートであろうとする気が、もとからない。

それがこの人たちの新しさでもあるし

画期的な部分でもあるし、そして権威ある美術館と学芸からは

なかなか受け入れられなかった理由でもある。


銀座で2,3ギャラリーをはしごしてから

古めの喫茶室でゆっくりとお茶を飲む。

そこから多摩川花火大会にむかい

夜空に咲く大輪の刹那の花にしばし見とれて

さて、この夏も終わりか。

こはるの夏休み

7月末、にぎわい座にて。


にぎわい座では隔月で自主公演をやっているこはるちゃん。
春夏だけはにぎわい座が会を催してくれる。
以前聞いたところでは、そういう時はギャラだけもらうので
(会場を借りたりの持ち出しもなく、チケットも
 販売してくれるので)
お金が手元に残るので、ありがたい、とのこと。


今回はその夏の会。
長めのマクラで遅れ客を拾う。
団体客なのか自由席なのに席取りをしたり
開演中でも手を上げて声をかけ合うなど
ちょっと眉をひそめる一幕も。


こはる:そこつの釘
こはる:三方一両損
中入り
こはる:化けもの使い


ネタおろしといっていた割には
どれも安定しており粗さがなく落ち着いたもの。
そつなく、上手に、といって上滑りもなく。


化けもの使いののっぺらぼうのくだりでは
志ん朝さんのおなじみの一言もあり手慣れたもの。


おやおや、と思いながら
もう少し若手をちゃんと聞き始めようか
とおもうことしばし。


同じ日の芸能ホールはでんぱ組のライブとかで
男性限定、女装か和装との縛りがあり
妙な雰囲気。
まあ、それはそれ、で。
そんなことも、と思うばかり。
涼しくなったら、また落語でも。

100万回生きたねこ

gray-oneko2015-08-05

佐野洋子展の初日にでかける。

ここで初めて知ることも多く

会場では、ふわふわの布をはりつけた白い猫と

不敵な顔のとら猫のパネルがあって

写真スポットになっている。

やっぱりこちら、と白い猫と写真をとる。

さて、どういうつもりか自分でもわからないが。


会場では子供サイズの猫型帽子を新聞紙でおり

白い楕円のシールを貼って目を描き、

黒いシールを貼り、脇にひげを描く。


佐野洋子の本を他にもいくつか読み

100万回生きたねこ」へのオマージュの短編を集めた

文芸誌特集も合わせて読んでみる。

江國香織の掌編が、裏返しのようなお話でしゃれている、

と思うし、町田康の作品も気にかかる。


夏は毎日じりじり暑いままゆっくりすぎてゆく。


毎年夏はめぐってくるけれど、思い出は上書きされずに

今年の花火、今年の文学館、今年の落語会。

今年の浴衣、今年の夏着物

少しづつ違って、少しは同じ、定番のもの。


猫、今年は帽子でいかが?