狐忠信

好きな話だからというわけではなく

人気役者が早変わりを演じるからなのか

この演目を何度も見たことがある。

 

 

親狐の皮を張ったという初音の鼓を

見たことのない父母と定めて執着し

それを賜ってからは獣がじゃれるように

鼓にじゃれかかり、ほおずりする

その様が、よくよく考えてみればなかなか難しい。

そう感じたこともなかったのは、これは随分名人上手で

見ていたからにほかならぬ。

 

 

宙乗りや早変わりのある

スペクタクルで耳目を集める演目であるにもかかわらず

鼓を未練がましくみつめる切なげな眼技といい

うかれてじゃれかかる一方で親なし子の哀れさを

感じさせねばならず、心身ともにくたびれる難役のひとつ。

 

 

昭和元禄落語心中」の中で、出奔した兄弟子を探して

雛の地で落語会をするシーンがある。

その兄弟子の久方ぶりの「芝浜」に

簡単な地語りで過ぎ去る年月の実感と重みを伝える難しい場所

と同じ演者こそがわかる個所を袖で聞きながら

その出来を推し量る。

 

 

いかに聞きこんだ客だとて

同業者ゆえの、難しさを推し量りそれゆえに

技量を判断するその耳には、なかなかかなうものでもなかろう。

 

 

噺をする演者がいて、

その噺を温かくかつ笑いすぎずに受け止める客がいて

それ以外にも、実は番組を組む席亭やら

太鼓を鳴らす前座やら、出を待つ間に耳を澄ます後輩やら先輩やら

それこそ三味線を弾く姐さんまで

寄席には演者を育て、叱咤し、高くなりすぎた鼻っ柱をへし折り

精進を促す上等なものがたくさんある、として。

 

 

ふっと、その人に問うてみたくなる。

あなたのまわりには、それと同じだけの

芸を磨く土壌がありますか、と。