ネクスト立川流

成城ホールでの立川流若手の会。
これがシーズン2らしいのだが、4年前のシーズン1は
わずか2回で打ち止めになった、という話を
はじめの3人の座談(立ってしゃべっていたが)で聞く。


前回は行けなかったのでわからないのだが
今回は50人かそこらの観客で
高座を舞台よりはるかに前のほうに作り
これが丁度、上下を切る演者と目があう高さ。
演者によってはこれがかなり気詰まりとなる。


談吉:大工調べ(上)
吉笑:一人相撲(新作)
中入り
志の春:らくだ


談吉さんは、談志さんの最後のお弟子さん。
談志さん亡き後慣例に従い、別の真打につくことになり
いまは左團次さんのお弟子さんとか。
緊張していたのか、舌で唇をなめるのが気になったのだが
途中からはそれもなくなり、あぶなげなくまとめている。


吉笑さんは、春吾さんの会にゲストででたときが印象に残っている。
新作のセンスと、なんというか話をもっていくうまさがある。
この日も長めのマクラで、師匠の兄弟子、談春さんの話題で
盛り上がる。
立川流、最近だめで、知名度ゼロの代表だし、若手は成金に負けてるし、
と危機感を持ってトークライブで本音トークをしたら
談春さんに気にいられたらしく深夜に電話がかかってきて
「お前がもっていない金と政治力は俺にあるから思い切りやれ」
といわれたとか。
以来、バックに談春がいると思うと態度が大きくなるなどと笑いをとる。
落語は新作だが、古典といえそうな落ち着いたもの。


中入り後、時間の関係かマクラもなく志の春さんは「らくだ」。
以前別の会で聞いたのは爆笑系の新作だったので意外でもあり。
おまけにこの噺、もともとは暗い話なんだなあと感じてしまったということは
陰惨さや暗さをお客さんに感じさせてしまったということ。
あくまで落語なんだから、暗くなりすぎるのはNG。
やくざもすべて同じように聞こえてしまい最後は屑やさんまで同じに見える。
ちょっと残念。

というわけで、この日の収穫は吉笑さんのマクラ。
いろいろな話題や思いをぎゅうっと詰めて
さらに面白い話として成立させるところは、なかなか達者。


次回はないかも、というトークはありつつ。
楽しみに待つことに。

 

談志祭り

立川談志生誕80周年と銘打った談志祭りにゆく。

要するに談志なきあとの一門会。

今年で5回目か、年々落ち着いてきて派手な演出

(一門勢ぞろいなどの口上など)

はなくなり、座談会もあっさりしたもの。

 

恒例の一門会とはいえ、談志の一八番などというわけでもなく

それぞれ勝手に我が道をゆきつつ、談志の思い出をそれでも

なんとなく枕で語る、という。

唯我独尊、我が道をゆき、人の芸にもそれらしく独自であれば

納得させられればなんでもあり、と寛容であったこの人の弟子らしく。

 

それぞれなりにこの一年、成長、考えるところがあったのだろうな

などと思いながら、ある意味マンネリ化し始めたこの会に

なんだか居心地の良さを感じる。

 

平林:振り込み詐欺に気を付けろ、安来節

志遊:鮑のし

生志:看板のピン

談春:慶安太平記 吉田の焼き討ち

中入り

座談、談志音源

談之助:笑点

東京ボーイズ:歌謡漫談

談志楼:浜野矩随

志の輔らくご「牡丹灯籠」

志の輔さんの、今年でもう7回目だという夏の下北沢の恒例行事。
一度聞くともういい、と思う人がいるのか切符が取れて、でかける。



上演時間を確認せず、着物で行ったのは最大の敗因。
本編の後半は尻・腰が痛く、ほとんど集中できない。


とはいえ、一部の段を口演するのが普通のこの長編を
これだけ上手に編集して物語の全貌を伝えるのを目のあたりにすると
志の輔さんのある種の情熱と考えを感じる。


そのあたりは、赤坂ACTシアターでの大忠臣蔵と様子が違うように思う。
赤坂では、長い段を前半に芝居絵を使って1時間解説するのだが
どうしても落語ではないためテンポが落ちてだれる、
(あるいは圓朝のダイジェストを下敷きにしていないからか)
「解説」というかお勉強の要素が勝る。
わかりやすくはあるけれど、所詮は中村中蔵のための教養講座の前座、
一度聞けばもういいと思うところがあったが。


この牡丹灯籠はもう少し違う、」
落語の口演を、ものすごく集約し編集しているからなのか・・
これを聴いて、赤坂の口演の意味合いも、
私は少し誤解していたのかなと感じたことからすると。


お露のお伴の米は、志の輔さんの声で語ると随分な年寄りに聞こえるが
それでも、クライマックスのせりふの本当に怖いことといったら。


30時間の本編を、その本質を損なわずになんとか1回の高座で聞かせる、
これはそういう超人的な仕事。
寄席に毎日通う、ということのなくなった今の時代に合わせて、
10分の一の時間で、でも作品世界のすべてを味わってもらおうという
なんとも欲張りな挑戦。


さて、次はもう少しリラックスできる格好で
じっくりと聴きに行かなくちゃ。


次に聴く時までに、今回の口演をもう少し反芻して。
なにしろ、もぞもぞと生あくびをかみ殺した後半は、もったいなかったなあ。
上演時間はちゃんとチェックしなくちゃ、と思いを新たに。

ゼロ・グラビティ

テレビの放送で見る。

大画面で見たら吸いこまれそうで

その分、圧倒的な孤独や無力感、死への恐怖に襲われそうな

映像の美しさ、完璧さ。


とはいえ、CGなのかな。


人間、ひとりで向き合い、解決しなければならないことは

誰だって、ある。

そこをなんとか乗り越えた先には

もう一度生きる、という希望が待っている。


それを。

圧倒的な迫力と映像と

一人の女優の演技力で見せる映画。


途中までを伴走するパイロットが

彼女にサバイバルを教え

結果的に自分を救う強さを教えることになる。


そうね、どんな助言より

身にしみるから。

人にも薦める、かな。

カリスマの引退を見届けにセブンアイの株主総会にいく

見届けるつもりの株主が多数、と踏んだのか

会場入り口には多くのカメラと取材陣。

入る直前にコメントを求められた。


それを断って会場入り。

例年配られていた試供品はない、と

会場のあちこちに記載されている。

それ目当ての株主はきていないということだろう。


会見は、それまで報道されていた

どろどろした内紛とは打って変わり

淡々と議事が進む。

通り一遍にも聞こえる、想定通りの回答。


とはいえ、株主からの質問とそれに対する答えから

いくつかの事象が推察されて興味深い。

カリスマ経営者の鈴木氏に比べれば

新任の井阪氏はまだまだ頼りない、

フランチャイズセブンイレブンからすれば

株主、消費者の他にオーナーというステークホルダーがいて

この人たちの信頼は一朝一夕には得られない

しかし、この人らは、一度本社の方針が決まれば

それを信じついてゆくしかない、一蓮托生の子会社。


カリスマ、鈴木氏の人気と信頼、なしてきた偉業は、

質問する人の言葉の端々からも知れる。


カリスマの後を継ぐ。

それがどういうことなのか、それを見に行ったのだ

とそこで知れる。

糸井重里のインタビューの 編集

もう30年以上前の糸井重里のインタビューで

彼の答えた言葉が印象に残っている。


どんなに抽象的なことを聞いても

核心をはずさずに答えてくる

それは何故だ、と問われて。


僕はその問いを発した人が悪意か善意かだけを考える。

どんなに言葉尻がきつくても、わかりにくくても

善意だと思えば一生懸命その人の求めている回答を考える。

でも悪意ならば・・と。


さて、その先はどうだったか、と。