三谷歌舞伎

三谷幸喜の歌舞伎ときいてこれは行かねば、と。

気合を入れて見に行く。

 

 

当初は、漂流の後ロシア奥地に分け入る冒険談か、歌舞伎にするには・・

と思っていたのだが。

まずは背広姿の松也さんの解説に始まり

変化のない漂流船の様子は、さすがにもたつくものの

陸地に上陸した喜びもつかの間、最果ての極東の島での生活や

次次病に倒れる仲間たち、希望を失わずに帰国のつてを求めて

ロシア奥地へと旅する一行、と地味な展開の中に笑いや出来事を仕込み

犬ぞりの犬たちの活躍や、異国の地でのラブアフェアなど)

やがては、ん? 宝塚か?というような皇女エカテリーナの登場となる。

 

 

なんとか帰国を許されたときにも、けがのために洗礼を受け帰国がかなわなくなった

船員の、まるで歌舞伎・俊寛のような愁嘆場(知人曰く)があり、と

ここまでの苦難の道のり故の想いが全開となり、飽きさせない。

 

 

歌舞伎に向かないと思われた作品でここまでもってくる

役者と脚本家の熱意に脱帽。

そして、どんなホン(脚本)でも自分たちのものにしてやるという

歌舞伎役者たちの貪欲さには、最も感銘をうける。

 

 

さてさて、伝統芸能ほど、同時代を受け入れる貪欲さには事欠かない。

そんな思いを胸にして、1階席は総立ちのスタンディングオベーション

さて誰に対してか、と思いながら。

まずます満足の歌舞伎座をあとにする。

志の輔さんの会

連休中の新百合の会は諸事情でいけず、

リベンジで町田の会へ。

 

志の大:二人癖

志の麿:狸の賽

志の輔みどりの窓口(新作)

中入り

志の輔:徂徠豆腐

 

 

志の大さん、なにか通りの悪い印象の声。

聞きやすくはあるのでマイクの調節の問題か。

リズムやらテンポはとてもいいのだけれど。

上方ネタとのことだが聞くのは初めて。

続く志の麿さんも、ところどころ声がくぐもっていて気になる。

これもマイクのせいなのか、噺のテンポはよくどんどん惹きこまれるので

後半はあまり気にならない。

 

 

志の輔さんは、もはや古典の域のみどりの窓口

マクラでは新幹線ネタで笑わせて、さりげなく展開の伏線に。

 

 

中入り後は、徂徠豆腐。

初めて聞く話だがじっくりと聴かせて

8時半終演予定が30分ものびる圧巻の口演。

いつ聞いても、このクオリティが変わらないのは

好不調の波があったといわれる師匠とは、似なかったところ

というか、どうしてここまでできるのだろう、と不思議になる。

 

 

後日、噺の筋などを調べてみると、そのままでは冗漫なところもある。

また、兼好さんの音源があったので聞いて見ると

これはこれでうまいものの、比べれば、ああ志の輔さんの徂徠豆腐は

立川らしく現代的に、思い切って再構成していたのだなあ、と感じる。

 

 

同行の友人も大満足で遅めの軽食をとりに夜の街に。

よかったねえ、と話しながら。

 

巨星 松本清張展と

松本清張展を見に行って

ああ、まさに巨星だったな、と膨大な著作とその関連資料を眺めて

激動の昭和と同時代というべき作家だった、と。

興味範囲や著作、無数の取材旅行や旅先での写真や玄人はだしのスケッチ

圧倒されるような内容は、まさにとんでもなく熱かった昭和の熱気。

 

 

その後、カリスマ亡きあとの立川流ということについて考える。

今売れている人たちも、そこそこ売れ始めている若手も

昭和の時代を体現する談志さんが無茶振りで考えて作った立川流

ソフトに時代に合わせて変えていくんだろうか、と。

あの時代にあった、迫力やハチャメチャさ、なんでもありの凄み

あの時代でこそ成立した「日本が若かったころ」の流儀。

面白くて突き抜けていて、ある種とんでもない、でも自由な時代だった。

そんなものを今の時代に提示するのか、それともモードを変えるのか。

個が立っている、立っていなければ、ということだけが

唯一一門を結ぶ教義のような立川流だけに。

 

 

どうするの?

ふっと問いかけてみる。

令和も落語

令和になってもさほど変わらず、

連休最終日の夕方、落語会に出かける。

浅草の仲見世は、ぽつぽつとシャッターを下ろした店もあり

交代で休んだのかも、などと思う。

浅草公会堂の入り口には、なんのポスターも幟もなく

近日公開、といったこの先の公演の大型ポスターがはられている。

秘密結社の集会みたいだなあ、と思いながら会場へ。

 

 

談春:吉住万蔵

中入り

談春:百川

 

明治のころにつくられた、山場もなく暗い噺でと

前置きして、こういったメリハリのない噺が人情噺の真髄で

志ん朝もこういう噺はできないと高座にはかけなかった

などという話やら。

 

 

くどく説明せずに、あっさりするのがニュー談春などと

自分でところどころ突っ込みをいれつつ、噺は緩急をつけて進む。

確かに、恨まれて死んだ女の弔いなどの山場はあるにしても

あっさりはそれは夢だった、となったり

落ちは例のごとくくだらない、は?というものだし。

登場人物が活き活きと噺の中で動いていないと全く魅力がない、という

噺になのだというのも頷ける。

とはいえ、1時間半。特に長いとも思わずに聞けたということは

話芸の力なのかしらん。

 

後半は、空耳アワーのごとき聞き間違えの爆笑噺の百川。

世田谷線の中でのアナウンス「ダライ・ラマにご協力を」というのが

女性車掌特有の鼻にかかった声で、実は「社内マナーに・・」だった

というのがマクラ代わり。

 

令和になっても。

やっぱり落語、ということで。

 

 

 

ラナイですごす

ラナイ、というのはバリ島のリゾートホテル、主にコテージの野外に

風のとおる見晴らしのいい場所に、ごろ寝のできるカウチなどをおき

フルーツをつまみながら涼しい風を受けて読書やら昼寝をするスペース。

 

陽気が良くなってきて風も気持ちがいい。

 

ラナイのような、風の通る昼寝スペースをつくるか、と。

 

アイスティーに果物でも浮かべて

読みたかった本を読みながら寝落ち。

それは至福の時間だろうと。

 

自分の生活を少しシフトチェンジする。

持ちモノやポータブルスキルの見直しと再構築と一緒に。

少し印象が変わったね、といわれるかもね。

 

 

 

プレリュード・ノン・ムジュレ

チェンバロのレクチャーコンサートを聞いていたら

面白い用語に出あう。

 

 

プレリュードは前奏曲

ノンムジュレとは、ムジュレ(拍子)がないこと、で

記譜上の正確な拍子にとらわれず、即興の要素をもって弾く

といった意味らしく。

 

その場の雰囲気やら何やらで弾くたびに様子が変わることもある

という融通無碍さがなんだか楽しい。

 

 

この日の委嘱新曲、松岡あさひ氏の「星降る夜」も

シンプルで可愛らしい、印象的な曲だった。

そう、星が降ってくるような、静かで透き通った

でもどこか、子供が弾いている曲のような素朴さがある。

 

チェンバロの、おもちゃの楽器のような軽くて美しい音も

シンプルで古い楽曲も。

心にすんなり沁みてくる。

 

ノン・ムジュレ

その言葉を心に刻んでみる、そっと。

 

 

 

 

 

 

 

正太郎百貨店

横浜で正太郎さんの会。ネタだしは紺屋高尾。

落語カフェの武道館ライブの話やら

NHKラジオの取材でいったVRで訪れるハワイの話など

マクラもほどよく手慣れたもの。

 

 

引越しの夢:正太郎

夢金:正太郎

中入り

紺屋高尾:正太郎

 

 

どれも熱演だが暑苦しさはなく。

和解に似あわず、たいへん聞きやすくほどが良い。

いいですね、安心して聞いていられて。

 

次回も楽しみに。