有名建築家の作った私邸

ずいぶん前からチェックしていたが

迷っているうちに1年後に八王子に巡回するからと

先送りにしていた「戦後日本住宅伝説」展に

ようやくいってくる。


並びをみればそうそうたる建築家だが

多くはまだ若いころに、私邸とはいえかなりの力を込めて

自分の建築観や哲学のありったけをかけて

個人のための小さな邸宅を作っている。


今見れば奇抜でもあり、

あるいは、説明されればもっともな合理性や

風土との兼ね合いを有しているともいえるのだが

当時としてはやはり相当先鋭的なものだったのだろう。

両親のために建てたにもかかわらず

居住を拒否されて自分が住まうことにした

という邸宅もあるし、住まうことで形を変え

家族の歴史、訪れる人たちによって使い勝手よく

帰られてきた家もある。


数代のオーナーによって受け継がれ

今もその庭の藤棚の満開のおりには

歴代オーナーとそのゆかりの人たちが集まり

花見のうたげをする、という幸せな家もある。


もっとも近年の作品は、伊藤豊雄が妹とその娘たちのために

建てた私邸だろう。

夫を亡くし、うちにこもった悲嘆のなかで

外から閉ざされた邸宅は、子供たちが育ったのち

あまりにも私的な思い出と目的のためのものだったことから

他人の住まいとして転売されることに家族が反対して

取り壊されたという。


私的であり、かつ私的ともいいきれない不思議なもの。

見学ツアーがあったことを会場で知り

ほぞをかんだ。

次の機会があれば、ぜひ訪れてみたい

と思わせる、ある種不思議な邸宅たちだった。

才能ある若者こそ日本を捨てよと

そういいたくなる気持ちもわからないでもない。

 

官製ファンドどころか、日本のメガバンク

この手のリスクはとらないだろう。

 

hon.bunshun.jp

 

三宅坂にて

演芸資料室を見てから国会図書館に行くつもりが
ふと見ると昼席の最中。
今の時間から吉坊さんか、と思ったら
チケット売り場にいって入れるか聞いてみる。


中入後なら安いですよ、といわれるも
いえいえ吉坊さんですよね、といって
チケットを出してもらう。
ただ、なんとなく、モニターから聞こえる
声が違うような気がずっとしたのだが。


吉坊:冬の遊び
中入り
浪曲:東家一太郎 弥作の鎌腹
漫才:ジグザグジギー
文菊:甲府


寄席らしい並びで途中からにせよ堪能。
と思ったら、国会図書館の資料受付の時間が
終わってしまう。


吉坊さん、やはり声を潰して低くしている。
表現の幅は広がったのか、重しがでたのか。
もう1席くらい、聞いてからかななどと。
文菊さんの甲府いはほろりとさせてトリらしく。

 

帰りがけに、談春さんがゲストの日のチケットが

残っているかどうか聞いてみる。

案の定、もう完売とか。残念。

 

とはいえ。
ふらりと昼席なんて、我ながらいい休日。

 

百日紅

杉浦日向子の原作をぱらぱらと眺め
映画は封切り直後に見てはいた。


なるほどと。


松谷みよ子の「民話の世界」を読みながら
水神と呼ばれる龍やら蛇やらの伝説をひとしきり
考えてみる。


そろそろ、自分の絵をね。
そうね、そうするか。
ひとりごちて。

立川志の輔独演会

こちらも電話をかけ続けて入手した志の輔さんの会。

開始時間が早く、間に合わないのが怖くて
休むことにしてはやめに出かける。
会場に張り出してある案内によると
がっつり3時間コース。


志の太郎:元犬
晴の輔:看板のピン
志の輔:親の顔

中入り

漫才:母心
志の輔:帯九


独演会なのに前座にふたり、といいながら
長いマクラで北陸新幹線と富山ネタで笑わせる。
志の太郎さんは2つ目に昇進したばかり
晴の輔さんは真打に昇進して1年目くらいかしらん。


中入りを挟んで、同郷の漫才コンビ母心は
歌舞伎の所作をネタにした爆笑漫才。
所作もせりふもなかなか堂にいったもの。
そして「帯九」。
なんだかんだいいながら、通常の独演会以上の密度で
志の輔さんの落語が聞けることになっており
他は余禄、そしてそちらもがっつり楽しめる。


新作の「親の顔」にはいる前に、
今どきは小学生は想像力を働かせて
耳からだけで話を聞くことが苦手になっているそうです、
という話に続けて、アマゾン川にいる魚が
尾ひれのかげにもう一つの小さな頭がついていて、
その頭であとについてくる子供を見守っていて・・
という話が妙にリアルで気持ち悪い。
もちろん、そんな魚はいないのだけれど


志の輔さん、怪談やったら相当怖いかも。
そう思って中入にチラシを見ていたら、
夏の牡丹灯籠の会の案内が。
いや、喬太郎さんのアナザーサイドみたいな
眠れなくなるような心底怖い怪談を
新しく作ってほしいなーと思った次第。


お弟子さんの落語も、生きのいい漫才も聞けて
たっぷり堪能した会でした。

 

柳家小三治独演会

苦労して並んで入手したチケットでの横浜の独演会。

どういうわけか、ここのところやっかいごと続き。

駅から歩く道々で、気持ちを切り替える。


前座は孫弟子にあたる喜多八師匠のお弟子さん

柳家ろべえさん。

おなじみのやじろべえからとった名前の由来などはなして「たらちね」。

師匠の前座で何度か目にしているが,

言い間違えまで笑いに変えて案外安定した高座。


次は小三治師匠

おなじみの長い長いマクラはいつものとおり。

度忘れや間合いにも独特のおかしみがある。

四神剣の話から日本橋百川という料亭につながり、

百川ね、と周囲のお客さんもうなづいている。

ところがそこからまたマクラに戻り延々。

今の築地のような魚河岸は明治のころには日本橋にあり

という肝心の話が脱線ではなせていなかった様子。


噺に入り「百川」。

さらし、焼酎などの肝心のアイテム名をたびたび度忘れ。

話に入るまでが長かったため耐えきれず、

前のほうの席の女性が途中退席。

ひやひやしながらも下げになり、中入り。ここまで1時間半。


中入り後。


もう終演かと思った、と笑わせながら

小三治「小言念仏」。

これはどこからはいってどこで終えてもいい噺。

伸縮自在、勘所があればどこをどう飛ばしても戻ってもいいので今度は安心。

会場中が大満足の笑いにつつまれる。


マクラの話によると、上の前歯をすべて義歯にする手術後であるとか。

その割に、あちこちの地方の会に出かけている様子。

売れっ子で看板とはいえ、高齢の身にそれはいかにもきつかろうと思う。


談志がその昔、大事な選挙の応援があるからと

小三治円楽との3人会を抜けた際に

「そんなことをしていたら落語家の信用がなくなる」と

主催者に伝えて主催者も談志の降板を決めた。

その後、円楽さんが旅先で歯痛を理由にでられないことがあり

それも大変だった、などという今日のマクラを思い出す。


今なら2人のことがわかる、といって笑わせたのは

今日の会も、歯も膝も痛い中でも断れなかったのかしら。


落語会に付き合ってくれた人と

近くの蔵風の洒落た店で落語界の話をひとしきり。

小三治さんが、年末、マクラもなしに

季節外れの青菜をやった会は

あれはよほど機嫌が悪かったのかなどなど。


気持ちよくとまでいかないが

かなり気持ちが切り替わって家路につく。

夜空の月を見上げる余裕がようやくできて。

半月。