リウーを待ちながら を読む

たまたま手にして、一気読みの後も何回か読み返している。

コロナの騒ぎが無くとも、読みごたえがあるとして

強く印象に残っただろう。

感染症との闘いは、日々の闘いに負け続ける中で、

人として人に対して誠実であろうとする

とんでもなく大変なことなのだ、ということが門外漢の人間にも知れる。

あまりにも予見的で、それが恐ろしくもあるが

感染症が蔓延したら、おそらくたどる経過と取れる手段は

限られており、それがこのようなものだ、ということになろうか。

 

 

コロナ以降、あるいは、ウクライナ紛争以降

世界は、人間は進歩していき、らせん状にせよ過去よりはよくなっていく、

という楽観的な未来がどうにも、決定的に信じにくくなった。

あまりに性急に答えを求めることも、対処すべきことに

なにもかも捨てて注力することも、燃え尽きるだけになり

得策ではない、という。

 

 

自分がコントロールできることとできないことを見極めよ、とか、

しぶとくあきらめずに、なんとか続ける、続けることを日常にということなのか。

持続可能な、絶望に慣れないでいる方法。

 

 

カミユの「ペスト」を、今更だけど私も読んでみようと思う。