ローザンヌ国際バレエコンクールと古典落語と

3年ぶりに観客を入れて開催されたファイナル(最終審査)の模様が

TVで放映されて、欧州のバレエ団のダンサーだった人の

技量に関する丁寧な解説もあって興味深く見る。

2位には、スイスのバレエ学校留学中の日本人女子が選ばれて

最後のインタビューを聞くと、

この歳にしてはずいぶんとしっかりした職業観を持っている。

まあ、中卒からスイスにバレエ留学したのだし

クラシックは音楽も舞踊も、本気で職業にしたいなら

幼いころからある程度の路線が決まっているので、

あとは才能の有無と、やるかやらないか、ということなのだろう。

 

 

軽々と踊るには、逆説的だが強靭な筋力と鍛えられた技量がいる。

バレリーナは見た目も大事なため、目に着く筋肉が付くのを嫌う。

そこにも長年のメソッドがあり、ふわふわと軽そうな細い身体は

実は鋼のように鍛え抜かれているのだが。

 

 

解説者によると、レパートリー(踊る作品)はダンサーにとっては

毎日とる食事のようなもので、偏りなくいろいろなものを踊ることで

表現者としての語彙が豊富になる、ということだそうだ。

また古典よりはコンテンポラリーのほうが、

自分の個性や感情を表現しやすいという。

これは、クラシックバレエの多くがいわゆるお伽話の世界を

題材にしていることとも無縁ではなかろう。

お姫さまや王子様、魔法使いの出てくる作品よりは

コンテンポラリーダンスの表現する現代的な人間の複雑さのほうが

共感しやすいし、感情も載せやすい。

まだ若い踊り手にとっては型のきっちりある古典が基本だろうが、

技量の良し悪しが目につきやすく、また個性は出しにくい。

コンテンポラリーのほうが、感情をのせやすく、個性を出しやすい

ということか。

コンテンポラリーの課題作品はいくつかあり、どうやらこちらも

男女別になっているようだ。

個人的には、「デスデ・オテロ」というソロ作品

シェイクスピアのオセロに題を取った)に惹きつけられた。

もし自分に踊り手としての技量があればぜひ踊ってみたい

と思わせる作品だったがこちらは男性向けの作品。

確かに、女性には主題=夫の妻殺しからいって

難しい部分もあるのだろうが、

背中で多くを語る作品は、モンテベルディの音楽ともマッチして

一片の詩情溢れる短編映画のようだった。

この作品は、何人かの踊り手が課題として選んでいたが

コンテンポラリー賞を受賞した踊り手のものが秀逸だった。

すると、踊り手がよかった、ということでもあるのだろう。

 

 

 

演者の技量とコンテンポラリーということで言うと

思いだすことがある。

以前、贔屓の落語家が(この人は新作を演じないのだが)

新作を作らない自分をアレンジャーといっていたことがあり

なにやら違和感があった。

バレエの世界では、自ら振り付けをするダンサーも当然いるが

多くのダンサーは振付をせず、古典もコンテンポラリーも踊る。

その時代を見事に映した新作を作りだせることは素晴らしいが

そして踊り手でない振付家というのも存在しないのだろうが

作品の世界観を解釈して自らの感情をこめ身体で表現することも

素晴らしく、才能のいることだろう。

 

 

落語の古典は、バレエというよりはオペラの新演出のように

演者により現代的なものの取り入れ方やアレンジの幅が

大きく異なる。

改作と称して、古典を題材にほとんど新作のように作るものもあれば

言葉の選び方だけで周到に再構築し直し、

現代の作品として共感を呼ぶところまで持っていく場合もある。

 

 

いずれにせよ、今の時代=現代に共感を呼ぶ要素を

どうやって取りこみ、演者としての自分をそこに反映させることが

できるのか、ということなのではないか。

 

 

それはさておき。

ローザンヌで入賞した女性ダンサーは北欧のバレエ団にいくことが

決まったようだ(オファーがあったとのこと)。

いろいろ地政学的に不穏な要素もある地域だが、

古典もコンテンポラリーも魅力的だったこのダンサーが

日本で凱旋公演をする日を楽しみに待つことにする。