都内の定席(寄席)にでない一門のこと

上方はしばらく定席がなかったこともあって

上方落語協会米朝一門会にはあまり違いはないのかもしれないが。

 

 

東京では、定席に出ない一門が2つあり

ひとつは五代目円楽一門会で、もうひとつは落語立川流となる。

もともとはここに所属する落語家の多くは落語協会に所属していて

そこから、いわゆる「考え方の違い」で分裂し独立した、とのこと。

 

 

前者は、当初の姿ではなく

一門を引き連れて独立した円生さんがなくなったあと2つにわかれ、

一部は落語協会に戻り、五代目円楽さんの一門は名前を変えて

独立したままとなっている。

後者は家元立川談志の一門で、協会にもどることはなく

今に至っている(1名が、談志さん亡き後、芸術協会に復帰)。

 

 

米朝一門を見るとなんとなく様子がわかるのだが

米朝事務所というマネジメントおよび興行会社を持ち

米朝さんの落語家である子息は、別の名跡を継ぎ一門を率いている。

一門は多くの名前の知れた落語家を有し

米朝を継ぐ落語家はしばらくでないと思われるが

一門も組織のマネジメントもしっかりしていて、ホームページなども

充実している。

米朝さん存命のころは、一門会で誰がどんなネタをかけるのかも

米朝さんが決めていたというから、プロデューサーも兼ねていたのだろう。

それだけの大きな人だったが、米朝さんが亡くなった後に

一門が混乱したか、というとそういうこともなさそうだ。

 

 

五代目円楽一門会も、先代円楽さんが存命のころに

2つの名跡を継ぐ人を指名し、組織の運営体制を決めていたためか

こちらも(1つの名跡はいろいろあっていまだに継げないようではあるが)

当代円楽さんを中心にまとまっており、ある意味で安定している。

一度枠組みができれば、組織というものは自動運転のように続いていくものだけに、

落語の実力・知名度・影響力のある代表が名跡を継ぎ、組織の形を保つのが

事業継承の必須要件ということになろう。

 

 

比較すると落語立川流はなかなか悩ましい。

カリスマだった談志さんは唯一無二の落語家で、

その名は当分誰も継げないという雰囲気だが

一門のマネジメントや興行を専門に実施する運営会社や組織も特にはなく

談志さん亡き後にしばらくとっていた代表理事制もやめ

それぞれの師匠が弟子の昇進を決めている、とのこと。

一門としては日暮里などに定席をもってはいるが、

全体としての活動は一門の新年会以外にほとんどない

ということのようだ。

 

 

一門の落語家たちの関係は横のつながりは薄く

同門、というよりは、それぞれが1対1で師匠・談志につながっている

と言われていた。

談志さん存命のころには、顧問のように意見を聞く人はいたとしても

組織らしい組織をつくらずすべてを談志さんが決めていた、ということからも

まあ、そうなるのかな、と思う。

つらつら考えると、宗教の始祖みたいだな、とも。

弟子のうちの誰かがその始祖を継ぐわけでもなく

ブッダやキリストを誰も継がないように)

何人かの高弟が師の教えを説き・・・さて、といって

後世に伝えるために教えを布教するほどのこともなさそうな。

 

 

数年前に、立川流の孫弟子のトークライブに参加したことがある。

若手にしてみれば協会などに所属する同世代と違って、実務上の不満はあって、

一門でありながら、たとえば新人賞をもらえるようなコンテストの情報などを

とりまとめて流してもらうような場所がない、などは典型的な例のようだ。

今はもう少し事情も違うのかもしれないが、

何カ所かの定席があり、そこに席亭というプロデューサーがいて

他の師匠方が数多く在籍し、いろいろな人目がある、という

落語協会落語芸術協会所属の若手と比べれば

ハンディがあると思うのかもしれない。

 

 

一門が団体に所属していれば、名跡を継ぐことと一門の運営まで担うことは

一緒にはならない。

協会という一種の職能集団が仕事をある程度斡旋し人を育てる機能を担うからだ。

都内で安定した一定の仕事がなければ、一門を連れて全国行脚しなければならず

そのこと自体はかなりの負担にもなろう。

弟子の昇進にしても、ある団体の中にあれば、いろいろな人の目もある。

席亭の意見もあるだろうし、昇進が決まれば宣伝や広報もある。

この、協会から独立するということはマネジメントや興行、弟子の教育や

プロデュースまで含めて代表者が担うということで、それはかなりの

負担になっていく。

 

 

名跡を継ぐ人をどうやって決めるのか

といえば、世襲ではない、という建前のある落語界では

血筋ではなく、弟子筋の中からそれに見合った人が選ばれる(建前としては)。

興行上のことや演者の個性、さまざまなバランスなども考慮されるのだろうが、

襲名も興行のためのもの、話題になってこそ、売れてなんぼという気もする。

寄席が繁昌してはじめて、名跡は継ぐ価値がある、というものになろうか。

 

 

さて、立川流にこれから必要なものは何なのか。

最低限の運営やマネジメントは分担し

ホームページも一門会の落語情報と一門の名前程度。

まことにさっぱりとしている。

それでも今は人気・実力のある落語家が何人かおり、弟子も育ちつつある。

大会社に所属する新入社員が、意識することもなく享受するような様々なことを、

自力で開拓しなければならないということも、

立川の「社風」といってしまえばそれまで。

談志さんの名跡を誰かが継ぐときに、その襲名興行をプロデュースする人物と

次の談志さん(家元、になるのかしらん。そこもまた、どうなるのやら)

があらためて先代の談志さんの功績にスポットをあてるのかもしれない。

・・なんだかずっと先になりそうだけれど。