新作落語「大河への道」

志の輔さんの「大河への道」は伊能忠敬の話・・ではなく

伊能忠敬大河ドラマにしようとして悪戦苦闘する脚本家の話である。

それも、そのドラマ自体は伊能亡きあと、その死を隠して伊能の地図を完成させ

幕府に献上した伊能の師の息子、高橋景保が主人公になってしまっている。

もともとこの話は「千葉・佐倉の偉人を大河ドラマに」と

脚本家に依頼したプロジェクトという設定。

それだけに、

「趣旨の通りの脚本は完成しませんでした

伊能忠敬大河ドラマにするには大きすぎたんです」

という落ちとなっている。

 

 

 

伊能忠敬をなんとかドラマにしようとして苦闘する脚本家は、

当然志の輔さん自身でもある。

伊能忠敬という人は50歳になるまで佐倉の庄屋の婿養子であり地元の名主。

ちょうど彼が家業を継いでからは、天候不順や火山の噴火などで

飢饉や洪水の多かった時代である。

にもかかわらず家業を大きく発展させ、名主として動乱の時代になんとか地元を

守るために奔走した。

家督を息子に譲ってはじめて、自分のやりたかった学問を志す。

江戸に出て息子ほどの年齢の学者に師事して猛勉強。

それに加えて、57歳から蝦夷(北海道)の地図を作りたいと幕府の許可を得て

(ちなみに数千万円相当といわれた経費は当初は自腹)

その時の地図の評判が良く、功績を認められ士分にまでなった、という人物。

 

 

今で言うなら実業で成功し、地域コミュニティにも貢献、

功なり遂げた後に息子に会社をゆずり、夢だった学者に転身。

若者に交じって切磋琢磨し、やがて師からの信頼を得るまでに。

たぐいまれなる実行力と統率力で、実現困難に見えたフィールド調査を完遂し、

その功績が認められ学者としても大成。

政府から勲章までもらった、といったところか。

 

 

ドラマにするには十分な立志伝中の人物である。

が、志の輔さんが苦労するのも、最後には伊能の師の息子の噺になってしまったのも、

伊能忠敬という人の評伝を読んでいるとなんとなくわかる気がする。

なんというか・・・

実務に長け、ゆるぎない実行力をもって緻密な測量をこなし

何度も丁寧に観測して確認、それなりの規模の測量隊を統べる能力もあって・・・・

という人物像は、それこそ偉業を成し遂げるには十分としても、

講談ならともかく落語にするには、隙というかドラマが足りない、

ような気がする。

 

 

伊能先生だって旅先で持病が悪化して3カ月も戦線離脱して療養するわ、

旅先で息子の病気(本当はその時点で死んでいた)を知らされて、

遠い旅の空のためもう生きて会えないかもしれないと嘆いたというから

人間ドラマは当然あったはずなのだが、

聞き手を深く共感させるほどの何かが、志の輔さんには

この人物からはうまく掴みとれなかったのかな、と思う。

 

 

落語の世界では、講談のように、立派な学者や武士を主人公にした話はあるが、

必ず市井の庶民の視点や話が絡んでくる。

偉い学者さんであっても、学問に熱中するあまり寝食を忘れて食うに困るほど貧乏で、

豆腐屋にまで心配されて毎日オカラをめぐんでもらったり(徂徠豆腐)、

名奉行と呼ばれながら、さりげなく面倒くさい案件ばかり担当したがったり

志の輔さんの「三方一両損」の大岡越前はこういう人物として解釈されている)

となにかしらその人となりが、庶民の側から見て魅力的なものがあるのだが、

伊能忠敬からはそういった人間くささがあまりしてこないのだ。

 

 

もともとは、伊能の作った地図が

現在の日本の海岸線とほぼぴたりと重なるという映像をみて、

志の輔さんが鳥肌が立つほど感動して、この人を落語に、と思ったそうなのだが。

同じ感動を観客に味わってもらおうとして、

創っては壊し創っては壊し・・・と繰り返すうちに

伊能忠敬とは違う人のはなしになっちゃって」ということなのだろう。

そのことの方が落語みたい、ということで、こういう噺になったのだろう

と思うと愉快でもある。

 

 

とはいえ、落語はジャズのインプロのように毎回演じ方が違ってくる芸能。

今は完成形はこの形だとしても、いずれは伊能忠敬を主人公に魅力的な話に

変わっていくかもしれない、

(最初のころは、伊能忠敬の話だったこともあり、タイトルも違っていた)

きっとご本人も、最初に「これだ!」と思った通りに作れていないという

思いはあるのだろうし、もう一段の進化を期待してもいいかしらん。

 

 

ところで。

パルコの志の輔さんの会が地方に行った際の話

志の輔落語 IN NIPPONN)の話は、いずれまた。