猪瀬直樹と落合陽一の

2020東京オリンピック後に日本はどこに向かって進むのか

というダイアローグをまとめた本を読んでいる。

 

 

今の状況を考えると予言とは違うのだが響くものがある。

オリンピックは延期され、その後も原因となった感染症はおさまらず

開催の是非や中止の意見までが市井の人の口からも出るこの頃。

感染症対策で急激に進んだテレワークや遠隔会議などの初歩のテレイグジスタンス、

店舗の無人化やロボットの導入と、

電子化されていない政府や教育の諸問題の露呈、

などなど。

 

 

感染症の制圧または共存に、あとどのくらいの時間がかかるかによって

急速に進んだ各種の変化の定着がどうなるかも変わってくるだろう。

後戻りができない、という人もいるが、正直まだわからない。

 

 

歴史に学び、データに基づく分析、論理的に考え、言葉を鍛え

構想を創りだす、という姿勢はいつの時代にも必要なのだと思う。

そこにテクノロジーで課題を解決する、というツールが加わるにしても。

 

 

ふっとこの本の途中で、志の輔さんの新作落語「質屋暦」のことを

考えていた。

明治政府が明治5年に現在の太陽暦に改暦した際の

(どうやら当時政府の財政がひっ迫し、改暦によりおよそ2カ月分の給与支払いが

蒸発することから導入を急がれたらしい)

庶民の間に起きたドタバタを描きだす、なかなか楽しい噺なのだが。

 

 

この非常に良くできた新作落語

同じ暦(天文学)を扱いながら、なかなか完成を見ない伊能忠敬の話を

ちょっと比べてみたのだが・・・それはまた後日。