松本清張展を見に行って
ああ、まさに巨星だったな、と膨大な著作とその関連資料を眺めて
激動の昭和と同時代というべき作家だった、と。
興味範囲や著作、無数の取材旅行や旅先での写真や玄人はだしのスケッチ
圧倒されるような内容は、まさにとんでもなく熱かった昭和の熱気。
その後、カリスマ亡きあとの立川流ということについて考える。
今売れている人たちも、そこそこ売れ始めている若手も
昭和の時代を体現する談志さんが無茶振りで考えて作った立川流を
ソフトに時代に合わせて変えていくんだろうか、と。
あの時代にあった、迫力やハチャメチャさ、なんでもありの凄み
あの時代でこそ成立した「日本が若かったころ」の流儀。
面白くて突き抜けていて、ある種とんでもない、でも自由な時代だった。
そんなものを今の時代に提示するのか、それともモードを変えるのか。
個が立っている、立っていなければ、ということだけが
唯一一門を結ぶ教義のような立川流だけに。
どうするの?
ふっと問いかけてみる。