6代目神田白龍「小猿七之助」
談志祭りのさいの座談会で。
山藤画伯の家に遊びに来た談志さんが
SP版のレコード全集(おそらく話芸)の中に
白龍(5代目)「小猿七之助」をみつけた。
これを「探していたんだ」といったので
さしてその価値も知らない画伯は気前よくあげてしまい、
のちに談志さんは自分のネタとして高座にかけた
という話を聞いて。
6代目のCDを見つけて聞いてみる。
テンポも語調も、談志さんとは全く違うので
さて、5代目がどうだったのかと思うものの。
なるほど講釈好きの談志さんは
話芸を広く聞き込み探求してとりいれるべきものは
すべて自身の落語に投入してきたのか、と。
寄席そのものを愛し、講釈場にも通い
好きな話芸の話で関係者とも話し込む。
実演家ではあったが、相当な目利きでもあり
そのどこがどうだから素晴らしいのかまでわかったうえで
自分の話芸に取り入れるセンスと技術を持っていた、
として。
その全貌を、まだ整理も評価もされないのは
いったいなぜだろうと。