お笑いでもなく落語でもなく――「噺家が闇夜にこそこそ」 

久方ぶりの落語番組、という宣伝文句もあったかに記憶しているが、

年末の特別番組から深夜帯のレギュラー番組に昇格した「噺家が闇夜にこそこそ」。

 

1回ごとに完結しているため、

ワールドカップの特別番組がはいり予告なく終了になったようだ。

司会には当代の売れっ子・今田耕治と壇密に加え、

テレビにはほとんど出ないが立川流では志の輔に次いで売れている

落語家・立川談春を起用、特番ではそこそこ話題にはなった番組だった。


中身はと言えば、壇密・深夜帯・闇夜にこそこそ、

という意味深なタイトルから予想する“18歳以上限定”風の

あぶなさはまったくなく、話題になった出来事に隠れたちょっといい話や、

知られざる面白いネタを噺家が取材に行きそれを1席の新作落語のように語るというもの。

どちらかといえば芸能レポーターのレポートを、

落語特有の「話を腹に収めて自分なりに消化して語る」に置き換えたものだ。


特別番組では、数人の落語家がそれぞれ1話づつ話をしたが、

レギュラー化してからは時間がなく、

毎回一人の落語家が1つの話題を語り、

後半は若手落語家の大喜利(これが全く面白くない)。

更に番組で出たお題をネット上の特設サイトで一般参加の人に答えを募り

面白い答えには参加者や閲覧者が投票できる仕組みの企画と連動させた。

 

 

とはいえ、レポーターが落語家ならではの面白さを加えて、

あまたある情報番組と違うものにしたか、というと

再現映像やインタビューもないために低予算で済んでいるのだろうな、

という印象がある程度。

落語そのものが、仕草の助けを借りる程度にもかかわらず、

脳内ドラマを呼び覚ますだけの喚起力を持つ芸能

(それゆえ、ラジオ向きの芸能であるし、入院中に集中して聞いてファンに

なったり、寝る前に聴く人が多い)であるのに、

その魅力を生かしていない。


またとりあげられる題材もそれほどの新奇性や面白さがない。

 

一方で若手の大喜利が弾けているとか、面白ければ、

同じようにウェブでの一般参加も盛り上がるのだろうが、

受けを狙うぎらぎら感もなければ、

ディレクターや司会の思惑をぶっちぎるやんちゃさもなく、

面白くはないがすごく変ななにかがあるわけでもない。


 

もともと大喜利とは、寄席の最後に、

出演落語家が全員出てきてなされたファンサービスだという。

落語家の当意即妙さや回転の速さ、時事ネタとその場の客層を読んで

受けることを考える力といった総合力を試される。

敷居の低さ、娯楽性の高さとともに難易度の高い即興芸だ。


番組ででていた答えで、

その若手落語家が気に入って落語を聞きに来る人がどのくらいいたのだろう。

桂宮司は必死にはじけようとしていたけれど

他の3人はまったくクールだった。

 

次は普通の落語を聞きたい、という声もちらほら。

落語ファンからしても不完全燃焼な番組である。