立川流のその後

立川流国立劇場での一門会があるというのを知らず
一般発売時に知り、時既に遅し、とほぞをかむ。


結局は聴きにいけないまま、仕事絡みの宴席で
クラシック(音楽、バレエ)の話をひとしきり。


一門会の話を耳にしたのは明治座での歌舞伎公演の幕間。
歌舞伎と落語は客層がだぶる。
聞こえてくる話に、そろりと耳をすましながら
この会派の、寄席以後の世代の人気者
天皇といわれている志の輔談春志らく、談笑の持ち味のことを
つらつらと考えた。
というのは、深夜のテレビ番組で、
落語家が時事ネタを落語っぽく解説するコーナーがあるのだが
その出演の際の前フリに、談笑さんは知性派とキャッチコピーがつき
はて、知性派はいいとして、社会派でもあるかな、などと
思ったのが最初ではある。



寄席にでず、独演会の場所を探しながら
つねに辻斬りだか野盗だかのような迫力と実力で独演会を開き
客をさらっていく、という立川流の新世代やり方からくるのか
どうもこの四人のどの一人をとっても、どこかが過剰で
やりすぎに倒れがちなところが残念な部分。


志の輔さんは懇切丁寧な前フリの解説が、このままでは
解説の域をこえてきそうだし
談春さんは、ときどき人情話がくどくなる。
志らくさんはアイデア過剰で、省略という落語ならではよさを
殺してしまうこともあるのかしら。
談笑さんも、そこでとめておけば、というところを突き抜けて
やはり落語の範疇を踏み越える。
いずれも個性も強く、やりすぎになるのはお家芸かしら、などと。


この流派としては、上下の序列がかっちりあるわけではなく
談志家元をかこんだ惑星のようにそれぞれが等化の距離でつながり
自分こそがもっとも談志に愛されたという競い方をする
(by 談春さん)
というところだけに、一門のゆるやかなまとまり以上のものを
なかなか持ちにくいとはいえ。


この過剰さを、引いたところからさりげなく叔父さん的な人が指摘する、
その人材にも、いまのところは不足もないように見える。


だとしたら、ぜひ社外取締役ならぬ
本業・落語家以外の団体外理事、というお目付け役をつくり
組織運営上やら後進育成のためのアドバイザーをつとめてもらえばいいのでは。
もちろんそれなりの造詣を求められるわけで人選は大変だろうが
それぞれにもつ人脈を駆使すれば、いくらでも候補はあろう。
個性の強い、自己主張も強い面々に
さらっと違う視点を提供できる人は
家元亡き後の合議制の場には必要なこととも思われる。


さて、秋の一門会は逃さぬように
アンテナをはる場所を少しは考えなくては、と
そちらはそちらでつらつらと。