桜をテーマにした女性限定落語会にゆく。
前回同様、女性誌の主宰。


会場には数種類の桜の枝ものを中心にした生花がかざられ
花にちなんだピンクのさめ小紋の着物(桜色かといわれれば違うのが惜しいが)
が展示され
女性向けの微発泡の日本酒の試飲など華やいだ雰囲気。


どんちょうの青が随分鮮やかだとおもったら魁夷さんだった。
幕が開くと、背景にも桜の枝の生花。
背景に桜を背負うには、似合うような似合わないような御仁が座る。
背もたれが高く傾斜がゆるい椅子なのか、
高座からは顔だけが浮かんで見える、とのこと。
客席の反応が見ずらいという点では、演芸向きのつくりではないのだろう。


女性編集者、という人がいるのではなく、編集者という人種がいる
というのは今日の演者の名言だが、司会は桜色の色無地に白銀の帯をしめ
なんとも上品にまとめた編集長がつとめる。
桜色(一般的なソメイヨシノの色)、というのは案外地味で
色無地に無地風の袋帯でまとめると、どこかオフィシャルな雰囲気がただよう。
今日の落語家の言、料亭のおかみのような。
あるいはお茶会の席主ような。


噺は、というと、今回は随分枕を長くしてさぐるような風情。
とはいうものの、それは観客にあわせるというよりは
限界点をさぐっていたようで
噺自体は、落語らしいかなりの男噺。


質問コーナーでは、女性を演じるにはまずは女性特有器官が自分にあると考える
すると歩き方も変わるし肩甲骨の位置も変わる、などあまりにもリアルな言い方に
興ざめスレスレの客席の反応。


中入後の「人情八百屋」は、被災地での落語会での経験をもとにした
たっぷりのまくらが導入と伏線になっており、会場からは感動のすすり泣きも。


とはいえ、盛り上がる際に、この演者の悪いくせ
・・トーンがあがって、くどくなる・・がでてきて、噺に入り込めない人には
かなりそこが気になる。


女性誌とはいえ、文藝春秋の、というより編集者のような専門職では
仕事上で男女の差は全くない、
仕事をしているときは男性よりも男性的、それはどんな仕事でも
男性に伍して働くなら当然のこと。


一つ異なるのは、あまりにも身体に負担をかけすぎると
その「子を生むための身体」が悲鳴をあげて
身体に反抗されてブレーキがかかるということだけ。


激務にもかかわらず、
花のような着物を着て司会をしていても
内実は男のようなもの、であるかもしれないのに。


男の願望だけが投影された女がでてくる落語が
いまやファンタジーである一方で
その落語会を企画する女性の頭の中に何があるのかと
その先は満開の桜に免じて。


またの機会に。