戻り梅雨のあとで

地元のホールに談春さんの独演会を聞きに行く。

このホールは、手前にあって取りぬけのできたデパートが閉店になり

今は取り壊して更地になろうかという頃合い。

以前は駅からアーケードを抜けてエスカレータを上るとデパートがあり

そこを通り抜けるとホール入り口に着くので、ストレスがなかった。

どうやって入るのか、と久々に訪れて人通りのめっきり減った

アーケードを進む。

要所要所に、バス会社のベストをつけた道案内の男性が立つ。

年齢からしてシルバー人材センターにでも頼んだのか

酷暑の中、丁寧に案内をされていて頭が下がる。

聞いたところ、催しもののある時間に合わせて立つそうな。

ホールの負担なのか・・と思わずコストを計算するのは悪い癖。

駅からは少し回り道をして、公園の中の陸橋を通り抜けてホール入り口に到達する。

 

 

そういえばこの辺りは、米軍施設の返還跡地。

この市にはまだ広大な米軍基地(補給廠)が残っているが

そもそもその前身は日本の軍事施設で、ここは軍都だった、ということになる。

歴史を紐解くと、米軍基地跡に限らず、そこここに軍事施設があり

ここから少し離れたJR相模原駅周辺は、非常時には滑走路として使用するために

道幅の広い道路が作られたという話も残っている。

行きは手前の図書館に立ち寄り、そこからホールに行ったため公園は通らなかったが

帰りに会場でばったり出会った友人と公園を見下ろす陸橋を通る際に

この辺りが米軍からの返還跡地だという解説をする。

 

 

場内はキンキンに冷えており、持参したストールをしっかりとまきつける。

演者には男性ファンが昔から多く、とはいえ最近は半分は女性客。

一番暑い時間帯なので24度に冷やした、といわれるが・・・

どうよ、それ。

 

 

この日は時事ネタを皮切りにマクラが長め。

仲入り後のマクラが伸びて、袖に向かって「延長料金だよ」とか

「あとは短くやるから」などなど。

めずらしく終演時間が押す。

 

 

談春:猫貞

仲入り

談春:人情八百屋

 

 

東日本大震災後の東北での落語会のエピソードは

なんども語られて練り上げられてもはや地噺のよう。

その分、時事ネタのマクラは、少々言いたいことが走りすぎて

なかなかこの演者の思考の回転の早さについていくのが大変。

 

 

2本とも人情噺。よく練れており出来もよい。

日本の若者が男女問わず、結婚しないという世の中になったら

人情噺がやれなくなるのか、などということもマクラで話しながら。

最後は3本締め。

会場で出会った友人と駅近の店でワインを片手に軽く話しをする。

まずまずの休日、よい会でした。

 

 

 

 

戻り梅雨のあとで

地元のホールに談春さんの独演会を聞きに行く。

このホールは、手前にあって取りぬけのできたデパートが閉店になり

今は取り壊して更地になろうかという頃合い。

以前は駅からアーケードを抜けてエスカレータを上るとデパートがあり

そこを通り抜けるとホール入り口に着くので、ストレスがなかった。

どうやって入るのか、と久々に訪れて人通りのめっきり減った

アーケードを進む。

要所要所に、バス会社のベストをつけた道案内の男性が立つ。

年齢からしてシルバー人材センターにでも頼んだのか

酷暑の中、丁寧に案内をされていて頭が下がる。

聞いたところ、催しもののある時間に合わせて立つそうな。

ホールの負担なのか・・と思わずコストを計算するのは悪い癖。

駅からは少し回り道をして、公園の中の陸橋を通り抜けてホール入り口に到達する。

 

 

そういえばこの辺りは、米軍施設の返還跡地。

この市にはまだ広大な米軍基地(補給廠)が残っているが

そもそもその前身は日本の軍事施設で、ここは軍都だった、ということになる。

歴史を紐解くと、米軍基地跡に限らず、そこここに軍事施設があり

ここから少し離れたJR相模原駅周辺は、非常時には滑走路として使用するために

道幅の広い道路が作られたという話も残っている。

行きは手前の図書館に立ち寄り、そこからホールに行ったため公園は通らなかったが

帰りに会場でばったり出会った友人と公園を見下ろす陸橋を通る際に

この辺りが米軍からの返還跡地だという解説をする。

 

 

場内はキンキンに冷えており、持参したストールをしっかりとまきつける。

演者には男性ファンが昔から多く、とはいえ最近は半分は女性客。

一番暑い時間帯なので24度に冷やした、といわれるが・・・

どうよ、それ。

 

 

この日は時事ネタを皮切りにマクラが長め。

仲入り後のマクラが伸びて、袖に向かって「延長料金だよ」とか

「あとは短くやるから」などなど。

めずらしく終演時間が押す。

 

 

談春:猫貞

仲入り

談春:人情八百屋

 

 

東日本大震災後の東北での落語会のエピソードは

なんども語られて練り上げられてもはや地噺のよう。

その分、時事ネタのマクラは、少々言いたいことが走りすぎて

なかなかこの演者の思考の回転の早さについていくのが大変。

 

 

2本とも人情噺。よく練れており出来もよい。

日本の若者が男女問わず、結婚しないという世の中になったら

人情噺がやれなくなるのか、などということもマクラで話しながら。

最後は3本締め。

会場で出会った友人と駅近の店でワインを片手に軽く話しをする。

まずまずの休日、よい会でした。

 

 

 

 

ローザンヌ国際バレエコンクールと古典落語と

3年ぶりに観客を入れて開催されたファイナル(最終審査)の模様が

TVで放映されて、欧州のバレエ団のダンサーだった人の

技量に関する丁寧な解説もあって興味深く見る。

2位には、スイスのバレエ学校留学中の日本人女子が選ばれて

最後のインタビューを聞くと、

この歳にしてはずいぶんとしっかりした職業観を持っている。

まあ、中卒からスイスにバレエ留学したのだし

クラシックは音楽も舞踊も、本気で職業にしたいなら

幼いころからある程度の路線が決まっているので、

あとは才能の有無と、やるかやらないか、ということなのだろう。

 

 

軽々と踊るには、逆説的だが強靭な筋力と鍛えられた技量がいる。

バレリーナは見た目も大事なため、目に着く筋肉が付くのを嫌う。

そこにも長年のメソッドがあり、ふわふわと軽そうな細い身体は

実は鋼のように鍛え抜かれているのだが。

 

 

解説者によると、レパートリー(踊る作品)はダンサーにとっては

毎日とる食事のようなもので、偏りなくいろいろなものを踊ることで

表現者としての語彙が豊富になる、ということだそうだ。

また古典よりはコンテンポラリーのほうが、

自分の個性や感情を表現しやすいという。

これは、クラシックバレエの多くがいわゆるお伽話の世界を

題材にしていることとも無縁ではなかろう。

お姫さまや王子様、魔法使いの出てくる作品よりは

コンテンポラリーダンスの表現する現代的な人間の複雑さのほうが

共感しやすいし、感情も載せやすい。

まだ若い踊り手にとっては型のきっちりある古典が基本だろうが、

技量の良し悪しが目につきやすく、また個性は出しにくい。

コンテンポラリーのほうが、感情をのせやすく、個性を出しやすい

ということか。

コンテンポラリーの課題作品はいくつかあり、どうやらこちらも

男女別になっているようだ。

個人的には、「デスデ・オテロ」というソロ作品

シェイクスピアのオセロに題を取った)に惹きつけられた。

もし自分に踊り手としての技量があればぜひ踊ってみたい

と思わせる作品だったがこちらは男性向けの作品。

確かに、女性には主題=夫の妻殺しからいって

難しい部分もあるのだろうが、

背中で多くを語る作品は、モンテベルディの音楽ともマッチして

一片の詩情溢れる短編映画のようだった。

この作品は、何人かの踊り手が課題として選んでいたが

コンテンポラリー賞を受賞した踊り手のものが秀逸だった。

すると、踊り手がよかった、ということでもあるのだろう。

 

 

 

演者の技量とコンテンポラリーということで言うと

思いだすことがある。

以前、贔屓の落語家が(この人は新作を演じないのだが)

新作を作らない自分をアレンジャーといっていたことがあり

なにやら違和感があった。

バレエの世界では、自ら振り付けをするダンサーも当然いるが

多くのダンサーは振付をせず、古典もコンテンポラリーも踊る。

その時代を見事に映した新作を作りだせることは素晴らしいが

そして踊り手でない振付家というのも存在しないのだろうが

作品の世界観を解釈して自らの感情をこめ身体で表現することも

素晴らしく、才能のいることだろう。

 

 

落語の古典は、バレエというよりはオペラの新演出のように

演者により現代的なものの取り入れ方やアレンジの幅が

大きく異なる。

改作と称して、古典を題材にほとんど新作のように作るものもあれば

言葉の選び方だけで周到に再構築し直し、

現代の作品として共感を呼ぶところまで持っていく場合もある。

 

 

いずれにせよ、今の時代=現代に共感を呼ぶ要素を

どうやって取りこみ、演者としての自分をそこに反映させることが

できるのか、ということなのではないか。

 

 

それはさておき。

ローザンヌで入賞した女性ダンサーは北欧のバレエ団にいくことが

決まったようだ(オファーがあったとのこと)。

いろいろ地政学的に不穏な要素もある地域だが、

古典もコンテンポラリーも魅力的だったこのダンサーが

日本で凱旋公演をする日を楽しみに待つことにする。

 

 

 

 

 

 

ジャレド・ダイアモンド「危機と人類」

ジャレド・ダイアモンドの「危機と人類」を読んでいる。

学際的で特徴的な学問領域を修めた人らしい部分が随所にあるが

この本で使っている手法には多少異論もあるようだ。

にもかかわらず、フィンランドの対ソ戦、冬戦争に関するくだりなどは

現在進行中のウクライナ紛争と対比すると見えてくることがある。

軍事力の差を考えると無謀とも言える戦いなのだが

大国と長い国境線を接する小国が独立を守るためのぎりぎりの戦い、

勝つためではなく、占領するには面倒な相手だと思わせる、というための戦争

というものについて。

そして事後の交渉、それに続く、外交上の周到な選択

莫大な賠償金を支払うために、農業と林業中心だった産業構造を

抜本的に変えていき、経済発展も遂げることになったその後の姿まで。

 

 

この本自体が、いくつかの国の危機に見舞われたある時代を分析している本だが

不確実さを増している今の時代に、ヒントになる部分があると思われる。

今までの常識が役に立たない、未知の領域に踏み出した、としても

過去に学ぶことは、まだできる、というように。

 

 

 

賃労働の系譜学、と

今野晴貴の「賃労働の系譜学」を読んでいた。

ブラック企業、ブラックバイト、やりがい搾取といった話題を耳にしていたが

ある程度まとめられたものを読んでみると、特に最近話題のギグワーカー

(とその評価システム)の問題などにも腹落ちするところがあった。

日本の労働組合は企業別で、交渉権がさほど強くないことが

欧米と異なる部分なのだな、とも。

 

 

自分が安定した正社員という身分でなくなったこともあり

正規雇用だけで生活を成り立たせるためには、某政党の言う

”時給1500円、一日8時間働けば暮らせるように”というキャッチは

案外妥当だと思いいたる。

社会保険料は私が社会人になったころよりもかなり率が上昇している)

そして比較的容易に次の仕事にありつけるか、厚めの失業給付があること

加えてこれだけ変化が早い時代には廉価(か無料)の職業訓練や研修制度が

大事なのだな、と実感としてわかる。

 

 

同じ時期に小野不由美の「十二国記」のシリーズを読み始めていて

コロナ給付金詐欺の話題や、ウクライナ問題なども耳にする時節柄

若き王の悩みや王を選ぶ麒麟という生まれながらの生業の葛藤というよりは

国家とそこに所属する民の関係性、

”国は何を民に与え、民は何を差し出すのか”といったことをつらつらと考える。

こんなことは、学校で通り一遍のことを学びはするが

働いて税金を納めることになって以降、さほどまじめに考えたことがない。

でも、国による自粛要請とそれに伴うわずかな給付、といった

非常事態に明け暮れたこの2年半ほどを考えると、

本当のところどうだったのかを知る必要がある。

 

 

コロナ後、東日本大震災後の復興税が成立したように

コロナ後始末税、ともいうべきものができると喝破した知人がいたのだが

それの有無にかかわらず、政府の実施したコロナ関連給付の多くは、

(膨大な事務コストともども)きちんと効果を検証されるべきだろう。

もちろんコロナのための施策は当然のこととして。

 

 

さて、映画「シンウルトラマン」を特撮に詳しい人と見に行ったのだが

シリーズもののせいか、話題作りのせいかエピソードを詰め込みすぎ

かつ低予算とコロナもあり、シンゴジラのような迫力ある戦闘シーン

自衛隊の協力による)や特撮映画ならではの街を壊したり

人が逃げ惑うシーンが少ない。

妙な下からのアングルと顔のアップで迫力はあるがあくが強い、と

一気に見てしまうのだが、辻褄がどうなのか、すっきりせず悩むところもある。

駄作なのか怪作なのか、まあ、どちらかなのだろうが。

シンゴジラ」のような出来の良さを期待していたところからすると、

というところか。

1週間ほどは、なにやら文句を言っていた気もするので

コストバーのよい娯楽ではあった、といえるのかもしれない。逆にね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

賃労働の系譜学、と

今野晴貴の「賃労働の系譜学」を読んでいた。

ブラック企業、ブラックバイト、やりがい搾取といった話題を耳にしていたが

ある程度まとめられたものを読んでみると、特に最近話題のギグワーカー

(とその評価システム)の問題などにも腹落ちするところがあった。

日本の労働組合は企業別で、交渉権がさほど強くないことが

欧米と異なる部分なのだな、とも。

 

 

自分が安定した正社員という身分でなくなったこともあり

正規雇用だけで生活を成り立たせるためには、某政党の言う

”時給1500円、一日8時間働けば暮らせるように”というキャッチは

案外妥当だと思いいたる。

社会保険料は私が社会人になったころよりもかなり率が上昇している)

そして比較的容易に次の仕事にありつけるか、厚めの失業給付があること

加えてこれだけ変化が早い時代には廉価(か無料)の職業訓練や研修制度が

大事なのだな、と実感としてわかる。

 

 

同じ時期に小野不由美の「十二国記」のシリーズを読み始めていて

コロナ給付金詐欺の話題や、ウクライナ問題なども耳にする時節柄

若き王の悩みや王を選ぶ麒麟という生まれながらの生業の葛藤というよりは

国家とそこに所属する民の関係性、

”国は何を民に与え、民は何を差し出すのか”といったことをつらつらと考える。

こんなことは、学校で通り一遍のことを学びはするが

働いて税金を納めることになって以降、さほどまじめに考えたことがない。

でも、国による自粛要請とそれに伴うわずかな給付、といった

非常事態に明け暮れたこの2年半ほどを考えると、

本当のところどうだったのかを知る必要がある。

 

 

コロナ後、東日本大震災後の復興税が成立したように

コロナ後始末税、ともいうべきものができると喝破した知人がいたのだが

それの有無にかかわらず、政府の実施したコロナ関連給付の多くは、

(膨大な事務コストともども)きちんと効果を検証されるべきだろう。

もちろんコロナのための施策は当然のこととして。

 

 

さて、映画「シンウルトラマン」を特撮に詳しい人と見に行ったのだが

シリーズもののせいか、話題作りのせいかエピソードを詰め込みすぎ

かつ低予算とコロナもあり、シンゴジラのような迫力ある戦闘シーンがない

妙な下からのアングルと顔のアップで迫力はあるがあくが強いなど

一気に見てしまうのだが、辻褄がどうなのか悩むところもあって。

駄作なのか怪作なのか、まあ、どちらかなのだろうが。

シンゴジラ」のような出来の良さを期待していたところからすると、

というところか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画「大河への道」

志の輔さんの新作落語「大河への道」が映画化されたので見に行く。

面白く拝見した。

伊能忠敬の死後、地図を完成させようとして奮闘した測量隊(伊能隊)の面々と

それをなんとかかなえようとした天文方・高橋景保など、

あまり知られていない市井の人たちの決意や覚悟に焦点を当てているが

落語が原作だけあり、コメディタッチで気軽に見られる。

 

 

失われゆく時代劇の手法をなんとか残したいと新しい時代劇を模索していた

中井貴一氏が、志の輔さんの高座を見てぜひにということから始まった企画とのこと。

それらのエピソードを知らなくとも、よくできた映画ではある。

現代と過去を行き来しながら、人物がそれらしくダブルキャストになるなど

の仕掛けもあり、女優陣の今風の着物や帯結びもちょっとした楽しみでもある。

気になったのは、何番目かの伊能の内縁の妻、栄だろうか。

当時の女性としては珍しく漢籍を学んだ女性で手蹟も立派、

地図作成の折には尽力したという。

この時代にしては自由に生きた才媛だろうが、映画版は少し粋な風情で

女だてらに学問をした、という点が伝わったのかどうか。

 

 

とはいえ、笑いあり涙ありと十分に堪能した。

小説化もされ漫画版も出ていてメディアミックスの様相。

とはいえ、伊能忠敬の出てこない(亡くなったシーンから始まり、役者さんもあてていない)ドラマ、というトリッキーなつくり。

どれほど話題になり伊能忠敬の一生で大河ドラマを、となっても

きっと今回の作品とはまるで別物になるに違いない。

大河ドラマへの道は、まだ遠いな、とひっそりと笑いながら考えている。