令和も落語

令和になってもさほど変わらず、

連休最終日の夕方、落語会に出かける。

浅草の仲見世は、ぽつぽつとシャッターを下ろした店もあり

交代で休んだのかも、などと思う。

浅草公会堂の入り口には、なんのポスターも幟もなく

近日公開、といったこの先の公演の大型ポスターがはられている。

秘密結社の集会みたいだなあ、と思いながら会場へ。

 

 

談春:吉住万蔵

中入り

談春:百川

 

明治のころにつくられた、山場もなく暗い噺でと

前置きして、こういったメリハリのない噺が人情噺の真髄で

志ん朝もこういう噺はできないと高座にはかけなかった

などという話やら。

 

 

くどく説明せずに、あっさりするのがニュー談春などと

自分でところどころ突っ込みをいれつつ、噺は緩急をつけて進む。

確かに、恨まれて死んだ女の弔いなどの山場はあるにしても

あっさりはそれは夢だった、となったり

落ちは例のごとくくだらない、は?というものだし。

登場人物が活き活きと噺の中で動いていないと全く魅力がない、という

噺になのだというのも頷ける。

とはいえ、1時間半。特に長いとも思わずに聞けたということは

話芸の力なのかしらん。

 

後半は、空耳アワーのごとき聞き間違えの爆笑噺の百川。

世田谷線の中でのアナウンス「ダライ・ラマにご協力を」というのが

女性車掌特有の鼻にかかった声で、実は「社内マナーに・・」だった

というのがマクラ代わり。

 

令和になっても。

やっぱり落語、ということで。