葛の葉 異類婚姻譚

明治座に花形歌舞伎を見に行く。

夜の部を体調不良で見逃し、昼の部を取りなおしてのリベンジ。

メインの演目は・・・ちょっと辛い。

幕開けの「葛の葉」がコクーンで1月に見た「元禄港歌」のもとに

なっており、七之助の女房・葛の葉も哀切で心にせまる。


物の怪なり異類なりが女の側の場合は

子には特殊能力が宿るのか、それなりの成功談になるようなのだが

異類に人身御供として差し出されたりする話は

女性の側に嫌悪感があるのか、悲劇的な結末が多い。

鏡花の「海神別荘」にしても、そこを逃げ出した姫は

里では蛇の姿にしかなれず、親兄弟、友人にも認識してもらえずに

失意のまま別荘に帰る。

そこで許されて元のさやに納まるとは言え、

望んだ人生ではないだろう。


葛の葉の白狐にしても、愛する夫と息子をおいて

信太の森に帰るのだし、息子の成長を陰ながら見守るしかない日陰の身の上。

その親子の情愛をえがく後日談が「元禄港歌」でもあるのだ。


落語の「お若 伊の助」はもっと悲惨で

これをどう今の世の女性に向けて変えたところで

受け入れがたいし、嫌悪感以外の感情をもたれはしまい。

身分違いで、引き裂かれた男を慕う思いに

化け物が引き寄せられよりいっそうの悲劇を生んだ、ということは

哀れにしても共感できる要素はなにひとつない。


異類はまれびと、外人のメタファーであるにせよ

もう少し救いのある物語にならないものか。

「おおかみこどものあめとゆき」はまだましにしても

それほどハッピーなものではない。

共同体の枠を超えるものを内在すれば

その者たちは、どうしたって通常の枠を超え

なにかの不全感や不安を抱え、虐げられたり、逆に異能ゆえの権力をもつ

異界の人として生きざるをえない。


まれびと、そのまれびととかかわることになった里の人。

己の運命を受け入れられるかどうかで

その後の運命が枝分かれしていく気がする。


だとしたら「お若 伊の助」はこのままでいいのかもしれず

もっと後の世に、後日談のようなまた違う物語が生まれるのかもしれず。


それならそれで、その物語を聞いてみたい気がする。

あるいは。

書いてみたい気がする。