武蔵野にて

談春さんの独演会にゆく。
関東ではしばらくない、といわれていたが
武蔵野のホールの30周年記念だとかで。


怪文書とよばれる謎のチラシで有名な財団の主催で
会員向けに売り切る手法は相変わらずだが
落語会ははじめてで、かなり苦戦したように見受けられる。


自身の芸歴30周年にひっかけてか、入門のころの談志さんの
エピソードが続く。このあたりは「赤めだか」にある通り。


長い枕の後、「おしくら」
中入りの後は「紺屋高尾」


紺屋・・が以前と違うのは、要所要所で自分で茶々を入れ
もりあげすぎないようにしているところか。
それの良しあし、というより好き嫌いもあろうが
演出で描き切る久蔵の純情(ともするとあざとくなる)よりは
ひとつひとつ丁寧に背景を説明する理屈っぽさの方が
この人らしいのかもしれないし、
また普通でまっとうな男が貫くびっくりするような恋愛
というファンタジーが、笑いをはさんでしばしば覚醒することで
もうひとつ身近であり得る話に聞こえてくる。


談志さん、師匠に死なれてしまったら、当たり前だけれど
どうしたらいいか聞く相手がいない
だから千利休の利休百首からひいた「もとのその一」が
自身の30周年記念ツアーのタイトルなのだという。
師匠が死んだらその時点から先はもう、聞く相手のいない中で
もう一度、今の自分のまま、元に戻って師匠の教えをたどりなおす
そうすることで見えてくる、当時わからなかった教えもあろう。
そうやって師とかかわり続けるしかない、そんな風に聞こえる。


談志さんは、あれほど愛した寄席を飛び出し
落語を100年長生きさせ、お騒がせのまま
嵐のように世を去って、はたと気づいてみたら
その弟子たちに残されたものは。


彼が飛び出した寄席というギルド、教育システムの外で
それ以外のやり方で後進を育て、一人前にし、団体の意義を問い直し
継承し、あるいは大胆にそこから変革し
どうにか次の第3世代にバトンを渡す、あるいは。


師が伸ばした落語という芸能の寿命を
もう少し永らえさせるにはどうしたらいいかという、
カリスマでもない身には随分と重いミッションではないか。


まずは目の前の、来てくれた観客に何を見せるか
それから、そこから、はじまる。
そう言っているような、今日の久蔵はちょっと若返っていた
と演者が言うように。
慣れが消えて、あざとさが消えて。
久蔵さんはごく普通な人に見えてくる。


急流に逆らって泳ぐ魚が
そぎ落とされた、きれいな流水型になっていくように
この話もあの話も、もっとそぎ落とされていく。


しばらく関東での落語会はないとのこと。
しばらく間を空けて、噺がかわるのを楽しみに。