談志さんが愛したのは

寄席という場所だった、として。

それなら何故、寄席に戻らなかったのか

と聞くのも野暮というもの。



彼が画策していたのは

もっと面白いプログラムを

寄席という場所に自分がプロデュースしてかける

そのことだったはずなのだから。



家元なき後、一門で話し合った末に

立川流はやはり寄席に出ないことを決めた、という。

(それも、はじめは人それぞれ、としていたのがいかにも

 家元なくしてはまとまるすべのないこの一門に似合いだが)

その決定を、草葉の陰でこの人はどう見ているのやら。



ホール落語をはじめ

ライブハウスやら飲み屋やらの小さな落語会が

あちこちにあるこの時代こそが

ぜいたくにも、落語家一人一人の

あらゆるチャレンジの場とも言えるわけだが。


何をやってもいい、という時代に

何をするのか、が。

寄席ではなく、あえてその場を選ぶ理由とともに

本当は問われる、そういう時代でもある。

それを心にとめて。



もう談志さんの若いころとは

あらゆることが変わっている、それでもまだ

落語の可能性を信じる若手やヴェテランの挑戦は続いている。

だからその行く末を伴走しながら眺めている

それだけを心に決める。