story seller 2014

文芸物にはめずらしく、企画物のムック本的な体裁であてた(うまくいった)

story seller の編集が、小説新潮の編集長になったのは聞いていた。


リスクを負うとはいうものの、やりたいようにやる一方で

採算がとれると踏んでのことではあるが

単発の企画だからレギュラーの雑誌を預かるよりもはるかに気楽に

また年に一度程度なら、じっくり考えて作者を並べてアンソロジーにできる。

それが、そこそこ当てた後は、それはもう遊んでばかりいないで、と

会社からはレギュラー雑誌という重しを持たされたに違いない。


身の回りの友人たちが組織の中でそれなりの重責を負わされ

面倒な意見調整で忙殺され、派閥争いの中を泳ぐことで辟易しながら

気の置けない人の前で、そっと愚痴をこぼしつつ

好きな仕事が後回しになる悲哀を噛み締めている。

そんな年齢になったのではあるが。


ちゃっかりと自分の企画を年に一度のレギュラーにもぐりこませ

その号ばかりはと、英国テレビ作成の話題作「シャーロック」の特集なんぞも。

遊んでいるけど、こういう人は自分のアイデアで遊ぶときこそ

もっとも輝く冴えた企画をものすものだ。


レギュラーの雑誌が、淡々と落語家を並べる寄席であるなら

この企画号は数ヶ月に一度、その時もっとも勢いのある落語家を並べる

余一会(新宿末広亭で31日のある月だけ、その日に企画物の特別な番組がならぶこと)

のようなものか。


どちらにも刺激になるように、とのことだが

余一会ばかりが満席になり、客は相互交流しない、という話もある。


人材を育成しつつ、人気はないがそこそこ実力のある古株に仕事を与える

というそれなりによく考えられたやり方が、なかなか機能しなくなってはきている。

とはいえ、それに変わる仕組みがなかなか見つけられない中で

面白いことができるが、まだ若く、重しのない気楽な場所で案外あてている才能を

思い切って既存の組織の中で活用しようということもまた、

ありがちな展開であるに違いない。


その手の仕事が、これはもうまったくダメだ、となる人は

その重い仕事に耐えきれず、さっさと別の、はみ出た場所に飛び出すが

古い組織の古いやり方にとりあえず耐え切ったところでまだ余力が残れば

今度は組織自体を変えていく起爆力あるものに化ける可能性がある。


そこまでその若い奴を、単に抜擢するだけではなく

きちんと辛い中で成長できるかを冷静に見て必要最低限の手助けができる

潰れそうになっても、まだやれそうかというぎりぎりの判断ができる

若手に思い切ったポジションを与える人間がそこまでの慧眼の持ち主ならば。

なんの問題もないのだが。


と、自戒をこめて。

人事は虚心に相手を見ることだ、その未来含めて。

実にそれだけのことではあるのだが。