山形浩生の新教養主義宣言からは

遠くはなれたことを実感するこの頃。
教養をばかにするのは若者の特権ではあるけれど
いつの時代も、それはやはり必要なものではある、はず。


マスメディア、というものが
自分の関心のあること、というよりは
世の中の多くの人にとって関心があるだろうこと
あるいは、世の多くの人が詳細は知らないにせよ
なんとなくの概要くらいは知っていた方がいいだろうと思われること
をそこそこ網羅するもの、ということが一応の定義として。


デジタルの、選択型の情報収集を続けることが
どんな効果をもたらすか。


日々食べるものが、数ヶ月後の体をつくるように
日々取り込む情報が、1年後、数年後の自分を作る。
誰がどう言おうと。
自分は心して、そして微力ながらできる範囲で
伝えよう、と心に決める。