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志の輔らくご 2

 

立川流の創設は、当初は今のような形を想定して居らず

−−−晩年、談志さんが寄席に回帰したように−−−

寄席の中に独自のプログラムを提供するもう一つの会派

つくるだけを目指していた、ことからすると。


寄席を否定するつもりは毛頭なかったにもかかわらず

談志さんの思いをこえて事態がねじれてゆき

寄席の外で生きていくことになったこの異端の会派=家元。

その家元が唯一の育成システム兼ギルドとしての「寄席」以外に

耳目を集める弟子を育てられるか、興業を含めて新たなフレームを成立させられるのか。

立川流の創設以降の歴史は、結果的にはその実験という様相を呈した。

談志さんが、その証左となる売れっ子の弟子を早く世に送り出したいと望んだ

それは確かなことだろう。


その重圧を背負い、まるで試験管ベビーかなにかのように

奇異の目でみられ、道を切り開いてきた「寄席以降」を

立川流第一世代としてみるなら

すでに談志のはじめた落語の解体と再構築を

自明の方法論とした受け入れた世代を第2世代と呼んでもいいのかもしれない。


志の輔さんの中村仲蔵には、

十分な解説で理解を深めるという以上の何かが必要だろうと勝手に考えている。

興業や弟子の育成をはじめ、あらゆることに独自のやり方をせざるを得なかった

この人の葛藤をのせて、それゆえに深めることができる演目が

古典落語にはないのだろうか、と。

落語を愛し、最晩年までその再構築と解釈を深めた師匠の姿だけを頼りに

頼る前例のない道をひたすら切り開いてきたこの人が

思い入れのできる、思いをのせる古典の演目があれば

おそらくは色褪せない、新作に負けない古典ができるかもしれない。


それならこの人の古典を聞きにいく。

そう勝手にひとり決めして。