志の輔さん 独演会

都下某所で志の輔さんの会。
前座は志の大さん、前回と同じ狸札。


今年は自然災害も多く、
あたりまえのように予定通り会が始められるのは幸い、と
志の輔さんのマクラ。
海外の日本人会で10周年とか17周年とかで
それなりに盛大に会をした話などで笑わせる。
1年に一度、落語を聞けるとなると
みなさん前のめりで意気込みが違う、と落ち着いた客席を
少し温めるつもりなのか、長めのマクラが続く。


後半は、マクラもなしに帯九。
熱演。
余計なものもなく足りないものもなく。


志の大:狸札
志の輔茶の湯
中入り
志の輔:帯九

 


志の輔さんの帯九の最中にふとした拍子に、談志さんの声音がまじり
この人は談志の弟子だった、と思いだした。


そして、「立川流は談志家元の回りを回る恒星の集合体で
誰もが直に談志さんにつながり、上下関係も結束もすべて
談志さんを介しているために、一門の結束は逆に弱い」
といっていた誰かの言も一緒に。

 

今日は談志祭りの先行の売出で
なんとか1枚チケットを確保する。

カリスマが逝って7年。
変わるもの、変わらないものを見に
11月21日は有楽町へ。

にぎわい座 こはるの夏休み

にぎわい座でのこはるさんの会。

小さいほうのホールは相変わらず満席。


こはる:目黒のさんま

こはる:蒟蒻問答

中入り

こはる:五人回し


ネタだしは五人回し。

自信がないのかそわそわとしながら

最近はマクラもあれこれとそれらしい。


目黒のさんまは上手ではあるが、さすがに

誰よりも早くやります、というものの、季節にあわない。

以前師匠の前座で、これを土砂降りの雨の日にやって

「こんな雨の日に、こんな秋晴れの噺を」と

ぼやかれていたけれど。


蒟蒻問答は、どうやらにぎわい座に久々にきた

師匠の会のネタとかぶったのか、(師匠で)聴きましたか?などと

お客さんに聞きながら。

私は談志の型ですから(師匠とは)違います、とのこと。

生き物を殺すのは苦手なので、そういう噺は先行きどうも

といいながら。


最後に五人回し。

女流落語家が廓話をする際の難しさにちょっと触れて

とはいえ、5人の描写では何をやってもいい噺なので、と。

ジャズでいえばインプロビゼーション


結果としては、女流が語る違和感はさほどなく

不可はなく、まずまずの出来。

とはいえ、ものすごくいいわけでもないのは

ネタおろしゆえか。


とすれば、あとは精進、精進。

大河への道

志の輔さんのにぎわい座の会。

この会は寄席形式で色物が入り、お弟子さんが出て

ご本人はそこそこの噺をする。

なので聞きたかった「大河への道」はあきらめていたのだが。


中入り後、釈台が出ていて

まさか大忠臣蔵でもあるまいしといぶかっていたところ

まくらから伊能忠敬の話になることが知れる。


志の大:狸の賽

志の輔:買い物ぶぎ(新作)

母心:漫才

中入り

志の輔:大河への道(新作)


前座の志の大さん、落ち着いて噺を始めあぶなげがないが

冒頭で自分の名前を言い忘れる。

前座はめくりに名前が出ないから、まずはじめに自分の名前を

いわなければならないのだが・・・

もっとも最近は、終演後にその日のネタと演者を張りだすうえに

それを携帯のカメラで取る人が多いから、いい忘れてもいいのだけれど。


母心は志の輔さんの会で何度か拝見している。

今回は着物の芸ではなく、落語をもじった漫才で

正直あまり感心しない。


買い物ぶぎは初めて聴く噺だが、着眼点をずらすことで

日常の風景をシュールに見せる新作。


そして大河への道。

大河って大河ドラマのことだったのね、と。

伊能忠敬の生涯を大河ドラマにしてPRしようとした千葉県の役人の

会話から始まり、

千葉偉人伊能忠敬の話を書き上げたシナリオライターの到着が

明日の知事以下内部会議でのプレゼンを前に遅れているらしことが知れる。

と、古典落語風の展開を期待していた身には肩透かし気味の内容。


とはいえ、伊能忠敬の生涯が「なぜシナリオが書けなかったのか」という

作家の苦悩と並行するように語られてゆきぐいぐい引き込まれる。


聞き終わって、なるほどと思う一方で

さて、志の輔さんの落語にときおり感じるうーん、という思いも

同時にこみ上げる。

メディアとしての落語の範疇を少し逸脱しているところが、なのか。


師匠談志さんは志の輔落語を文句なし、と認めたわけでもあるし

古典落語も申し分ない。

牡丹灯籠や中村仲蔵を、前半を解説だけにしてほぼ一演目で

 独演会にするのは、やっぱり落語としてはどうかな、とは思うものの)


そしてつらつら思いを巡らす中で、やはりこの人は談志さんの弟子、

既存のものにあきたらず、作っては壊し、完成してもあきたらず。

見え方は違うにせよ・・・


以前聞いたときは、もっと長い噺でしたよ、と同行の友人がつぶやく。

これでも刈りこんだのか・・・

立派なばかりの偉人の生涯は、失敗を繰り返す愚かな人間を描く落語には

向かず、むしろそれは講談向きのネタ(だから完成せずに苦労した)。

という解説から、この噺がその苦労をなぞるようにして完成したこと

よくわかるのではあるが。


このしっくりしないところを、

自分でもじっくりと考えてみようか、と思いつつ。

横浜 粋歌さんの会

にぎわい座の粋歌さんの会。

 

JRの運航乱れで直前について落ち着かないとマクラをふりつつ。


粋歌:ねずみ

粋歌:夏の思い出(新作)

粋歌:銀座なまはげ娘(新作)

中入り

粋歌:嵐の初天神 「落語の仮面2」(白鳥作 新作)


それらしい会社での社会人経験(人事)があるせいか

はなし口が落ち着いていて、女声のきんきんしたところがない。

(最近は電車の車掌さんや運転士さんにも女性が多く

 そのアナウンスが、落ち着いていてもとても気になるときがある。

 音質の差なのか、なんなのか不思議ではある)

かといって地味でもなく暗くもなく。

古典もそれらしく。


白鳥作の「落語の仮面」はまずその設定にくすぐりが多く

あるあるの改作にくすくす笑いや爆笑の数々。

白鳥さんでなければ成立しない部分を除いて

粋歌さんらしさをブレンドして高座にかけている

という説明だが、白鳥さんで聞いていないのでアレンジの部分が

さてどこなのか。

とはいえ、そんなことは気にせずに楽しめる。


粋歌さん自身の新作も、ストーリーラインと人物描写のしっかりした

わかりやすくて共感を呼ぶ筋書きなので、

他人の新作でも作り方(または構造)がよく見えるのだろう。


希代のストーリーテラーというのは白鳥さんでもあるが

粋歌さんもなかなかの才気を感じさせる。

吉笑さんほどシュールでもなく、奇をてらうペダンティックな部分がないのは

若い人にしては貴重な資質かもしれない。


大衆芸能、演芸だから、というのもあるにはあるが

私自身がウェルメイドが案外好き、というのもある。

 

機会があればまた聞いてみたい噺家の、ひとりなのかな。

落語会など

地元で贔屓の落語会。


弟子を連れずに大荷物

(中入り後に着物を替えるからだろうが)

微妙な距離なのでタクシーの運転手に悪いからと

雨の中、10分ほど歩いて劇場入りしたらしく。

小田急線もダイヤ乱れといっていたので

最寄り駅まで電車できた模様。


にぎわい座でもないのに、最初から九州吹き戻し。


談春九州吹き戻し

中入り

談春:棒鱈


以前、この人のお弟子さんのこはるさんが好きだといっていた

飯島和一の「始祖鳥記」を読んだ。

江戸時代に空を飛ぼうとした男の話なのだが

ゆったり広がる海の描写が印象的だった。


九州吹き戻し」にも船が大海原を走る際の

見渡す限りの広大な海の描写があって、その良しあしが

この落語のひとつの肝なのではないかと思う。


船乗りたちの荒っぽいけれど

人の良い胆力のある話ぶりや海原の広さ

あっという間に天気が変わり、空の情景がみるみる変わり嵐がくる、

船が木葉のように翻弄される、それが映画のようで。

とても聞きごたえがあって、好きな噺のひとつ。


今回は人に力点があって、少し海の描写が弱く

うーん、以前どこかで聞いたときが一番良かったなあ、などと。

そういえばこの噺、珍しいはずだがすでに4回ほど聞いている。


さんざん笑いどころの少ない噺ですが、といって

時折笑いをはさんでいるけれど、うーん、こういうのは必要ない。

描写がしっかりできれば、笑いのある噺より私はすき。


その他に、マクラではいい人で優柔不断な男の役で映画に出た話題もあって

さて、この人が優柔不断とはロボトミー手術でも受けたか

鬱にでもなったか、といらぬ心配をしそうでもある。


複雑で面倒なところがなくなったら、さぞやつまらない人になるのでは

と思ったりもしつつ。

友人と美味美酒を味わい、帰るころには雨がやむ。


なかなかよい休日。

忘れられた巨人

カズオイシグロの作品はすべて読んでいたつもりが。

ノーベル賞受賞記念で読み落とした作品を読み始める。

 

 

この人の作品の中では最も心に響いた。

 

いつも、記憶が隠しテーマになっている。

というより、失われた記憶や隠された真実や謎

そんなものが物語の進行とともに解き明かされる。

そういう謎解きにも似た展開に惹きこまれるかどうか。

 

 

忘却を作りだす龍。

大切な記憶が失われ奪われる一方で

忘却したい記憶や

殺戮や復讐の連鎖を断ち切り平和を保つ手段ともなる。

 

忘却の中で今この一瞬だけを感じ取る

そういう人生がなにをもたらすのか。

答えはその人の生き方の中に。

 

 

 

 

 

川崎の芸術祭にて

志の輔さんの独演会。

チケットが意外にもとれて出かける。

新百合の芸術祭は、立派なプログラム冊子を拝見したところ

クラシック音楽に日本の伝統芸能という「古典」尽くしの内容。

 

志の麿:狸賽

志の輔:ハナコ

ダメじゃん小出:コメディパフォーマンス

志の輔井戸の茶碗

 

会場は、この公演だけ宮前区のホールのようで

少々古く、2階からの入場のせいか

らせん状に階段を何周かおりて1階席にたどり着く。

椅子のクッションが古く、かつ絶妙に腰痛持ちを不安にさせる角度で

手持ちのものをまるめて腰に当てつつも暗雲がただよう。

 

最初に出てくるお弟子さんは2つ目になったばかりか。

緊張もしており、声も張りすぎではあるが

後半は落ち着いてくる。

コメディパフフォーマンスは、県内ということなのか

にぎわい座でおなじみの芸人さん。

井戸の茶碗は力みのない円熟の境地で

余計なものを感じずに心地よい。

 

さて、伊能忠敬の落語が聞きたいと思うものの

なかなか聞けずにいる。

大忠臣蔵のようにネタだししてくれないかな、と

ちょっぴりのリクエスト。