都民寄席にゆく

申し込んでいた都民寄席に当選し
友人と待ちあわせて出かける。


神田松之丞:講談 雷電初土俵
滝川鯉昇:茶の湯
仲入り
長井好弘:解説 
林家正楽紙切り
柳亭市馬:二番煎じ


頭は欠けるかな、と思いつつ小走りに会場へ。
まだ枕の最中で、席につくと本編が始まる。
どうやら講談界の売出株の様子だが。
若い割に泥臭い芸風。好みはわかれよう。
熱演と思うか、暑苦しいと思うか、まあそんな違い。


打って変わって鯉昇さん。
(漢字変換させようとして、ああ鯉のぼり・・)
ゆるゆると落語はもっとゆるいんです、という風情が
落語ファンとしては心地よい。
仲入りをはさみ、新聞で落語評を書く新聞社の方の軽い解説。
この解説で、後があるのでと松之亟さんがさっさと帰ったことが知れる。
売れっ子、ということか。
おなじみの正楽さんの紙切り芸の後、市馬さん。
相変わらずのいい喉を披露して。


その後は地元だけに腰を据えて友人と話し込む。
話題は年のせいか、老親のことや自分たちの老後。
しんみりとして夜が更ける。
からっとはいかず、こんな時が訪れるとは思いもせず。

ただただ嘆息のこの頃。

高円寺演芸祭り

たぶん5年ぶりか、そのくらい久々の演芸祭り。
なにかと気ぜわしい中、最終日になんとかでかける。


少し早めにつき、予約もあることだしと
座高円寺の「寄席の粋、手ぬぐい展」へ。
噺家さんの手拭いの展覧会だが、オークションで好きなものを
ゲットできるという。熊本復興チャリティというところか。
落語家風くまもんのトートバックも販売中。


ついで商店街のかなり奥まった場所の不動産だかリフォームだかの会社と
その隣の沖縄料理店の2軒で、2人の噺家がそれぞれ交代に一席ずつ口演するという
「2軒並んで落語会」へ。


せまいオフィスにぎっしり椅子を並べ20人はいったかどうか。
一番前の席と20cmと離れていないきつきつの高座にあがると
こはるさんが開口一番「すごいですね、みなさん羽毛布団とか壷でも買わされそうですね」。
笑いを取りながら、ちょっと伸びたショートカットで
案外いろっぽい義太夫のお師匠さんを演じる。

立川こはる:転宅
中入り
立川笑二:新作(沖縄伝承をもとに)

笑二さんは一度聞いてみたかった人。
沖縄の民話をもとにした新作、といいながら手慣れた人情噺になっている。
一人35分と意外にたっぷりの口演。


そこから駅のちょうど反対側の氷川神社の会場へ。
日が沈み、そこまで小春日和だったのが急に冷えてくる中
境内で前の部の終了と入れ替え待ちの列に並ぶ。
この日、3回の入れ替え制のようだったが、全部こなすつわものも。


木戸銭を支払い中に入ると座敷に座布団、50人はいれば足を延ばす余地もない広間。
そこで6人の2つ目の噺を聞く。


桂竹千代:新作
柳亭小痴楽粗忽長屋
春風亭正太郎:棒鱈
中入り
立川吉笑:新作(ぞーん)
古今亭始:野ざらし
三遊亭歌太郎:寝床


売り出し中で勢いのある2つ目を一気に6人聞けるのは
大変ありがたいのだが、2時間の予定を45分押すとなるとさすがに辛い。


とはいえ、勢いのある若手ばかり8人を聞けてなかなか実り多い高円寺の夜だった。
商店街や街を上げて若手落語家を応援する姿勢も
庶民的で楽しそうな街並みも好ましい。
来年も時間をやりくりして朝からはしご、と心に決めて
こんなに遅くなるつもりじゃなかったんだけれど、とぼやきつつ。

 

解消と融和はなされないまま

試みたこと、画策したこと。

融和はなされないまま、次の世代に引き継がれる中で

すべては規知のこととして進んでいくらしい。


寄席に出ない。

だから、一人の会を中心に客を集める力をつける。


それがここで生き残る最善のことだと

今はその基準がスタンダードになる。


この間の「居残り佐平治」に漂った本物の詐欺師のような

決して落語には出てこない類のひやりとする存在は

あれは何を現していたのか、と。


何が起こるかと待ちかまえ、なにも起こらぬまま。

季節はまた巡る。

江國香織「間宮兄弟」 ジュンパ・ラヒリ「別の言葉で」

間宮兄弟」はDVDで見たことがあったのだが
江國香織の小説とは知らなかった。
一読して切なくて暖かくてとても気にいってしまう。
兄弟がはたから見たら浮世離れして気持ち悪く見えたとしても
好きな本の中の一節や、そこからインスパイアされたことを口にして
ほぼ瞬時にその感覚がわかりあえる、そんな相手に
人生の中でいったい何人巡り合えるかといったら。


そんな幸せを、価値観を、感覚を。
打てば響くように感じあえて、なおかつ当たり前に穏やかに
互いの存在を大事に思いあえる関係性。
全幅の信頼感をもって対峙できる相手にいったいどのくらい巡り合えるのか
まして身近に住まい、いつでも話せるところで。


競争ばかりしている子供っぽい男の子の中にだって
繊細で知的で言語感覚と感受性の豊かな、
ずっと話していたいと思える、そんな人をまれにではなく見つけた。
ほんの一時期、純朴な人の集う田舎の大学街では
それが珍しくもなく。
当たり前と思い、この先何人でも出会えると思っていた。


そんなことは、その先さっぱりなかったのに。


ジュンパ・ラヒリのエッセイを読みながら
友に出会える時期は実はひどく限られていることを思う。


自分の感受性が摩耗したわけではないことを確かめるように
人は年老いても小説を読む。
そんな気がする。

 

 

志の輔らくごin Nippon

志の輔さん、パルコ劇場休館中に全国12都市を巡るという。

その10都市目の横浜で、ラッキーなことにチケットが手に入る。

あまり演劇的な趣向はちょっとなあ、と思いつつ

それでもやっぱり、いそいそと出かける。


3時間の間、前座もなしで大神楽長唄三味線の間奏はありつつ

3席の熱演で。

どの噺も小細工なしの真っ向の落語


志の輔質屋暦(新作)

長唄三味線:鉄九郎

志の輔モモリン(新作)

中入り

鏡味初音:大神楽

志の輔:紺屋高尾


紺屋高尾は、さて談春さんと同じくすぐりなのだけれど

強いていうなら久蔵の感情表現のせりふが違うのかな。

ここが、あっさりとしてテンポがいいのは志の輔さん。

たっぷりと引っ張るのが談春さん。

高尾太夫も、談春さんのほうがもっと勝気。


新作もテンポよく、練り上げられていて文句のつけようがない。


さて、談春さんとの違いなども楽しみながら

その後、チケットを取ってくれた人との落語談義も楽しい。


といいつつ、一度きた人はまた来たいと思い

人にも薦めるでしょうから・・・

チケットはそうそう手に入らない。


機会があれば今度は伊能忠敬の話が聞きたいなあと思い

やはり立川落語のテンポの良さ、同時代性は好き、とあらためて。


ほろ酔いで、いい宵(酔い)を。

ひいきの談春さんもそのうちこの円熟に至るかしら、などと

遠い彼方を透かし見る。

贔屓の落語会にて

どうやらチケット転売サイト抑止のためと思われるが。

 

引き換え券しか発行されなければ

指定席と違うので早目に会場にならぶのは人情で

それなのに入場したら外に出られず

かつ場内には売店もなく自販機もない。

こんなにぎやかな場所なのに、転売する少数者のために

圧倒的多数の観客が不自由をかこつ、しかもポップスコンサートならともかく

落語会なのに。

 

落語家なら、たかが落語会、と洒落のめしこそすれ。

 

 

なんだか野暮だなあ、と思っているところに

前のほうの端の席、中央よりの隣には体の大きな人がいて

なんだかんだで視界も遮られ、これなら2階席か一番後ろの方がましだなあ、などと。

 

 

冷えた心を温めるほどにはマクラは冴えておらず。

残念なこと。

 

 

ブルース・スプリングスティーンが自分のファンは労働者階級で

彼らの心情を歌う曲が中心だからとファン層が広がっても

チケットの値段を据え置き、それがもとで転売サイトの高値を呼んだ

そんなエピソードがあるなら、協力しようと思うだろうが。

 

 

なんだか納得がいかず。

さて、困ったものだと。

クライマックス寄席

年があけたのに年末の話題もなんですが。

 

年末の少々半端な時間の寄席。

終電を気にしてトリの途中で席を立つ

という無粋なことをしなくていいのは助かるが。

さて、この後の部に比べると時間も短く

出演者の持ち時間は少なく、時間に追われてせわしなく。

後半に比べてなんとなく損な気がする、という席。

あと30分早く始めればいいのになあ、深夜の部は3時間超なんだから。


はじまりも半端で、夕方、年越しそばをたべてくるには早く(店が中休み)

終わってからだといつもいく店にたどり着き、

小一時間行列して店に入れるのも21時半とちと遅い。


志の太郎:寄り合い酒

志の八:山号寺号

晴の輔:目薬

ダメじゃん小出:マジック

三遊亭全楽:持参金

生志:悋気の独楽

中入り

伝の会:長唄三味線

志の輔みどりの窓口

ご挨拶:全員


志の輔さんが、パルコの1か月公演の代わりに全国を回るので、

相変わらず年末のこの公演は気もそぞろと笑わせながら、

終演時間ぴったりにみどりの窓口を快調に飛ばす。


最後は手拭をまき三本締めで締める。

まずはめでたい会で、はずれがない。


意外によかったのは志の八さん。

マクラも気が効いていて本編も(持ち時間10分の割には)まずまず。

お客さんの反応を見ながらすかさずくすぐりをいれるなど達者な風情。


生志さんの蓮舫さんネタは、立川流の談志祭りで聞いていたので

二番煎じでがっかり。

鉄板ネタではあるのだろうけれど、そのあとの

ノーベル文学賞の話題もなんとなく嫌みが強い。


さて来年は誰の落語が伸びるのやら。

年末に気楽に落語を聞ける身分でありたいと思いつつ。