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江國香織「間宮兄弟」 ジュンパ・ラヒリ「別の言葉で」

間宮兄弟」はDVDで見たことがあったのだが
江國香織の小説とは知らなかった。
一読して切なくて暖かくてとても気にいってしまう。
兄弟がはたから見たら浮世離れして気持ち悪く見えたとしても
好きな本の中の一節や、そこからインスパイアされたことを口にして
ほぼ瞬時にその感覚がわかりあえる、そんな相手に
人生の中でいったい何人巡り合えるかといったら。


そんな幸せを、価値観を、感覚を。
打てば響くように感じあえて、なおかつ当たり前に穏やかに
互いの存在を大事に思いあえる関係性。
全幅の信頼感をもって対峙できる相手にいったいどのくらい巡り合えるのか
まして身近に住まい、いつでも話せるところで。


競争ばかりしている子供っぽい男の子の中にだって
繊細で知的で言語感覚と感受性の豊かな、
ずっと話していたいと思える、そんな人をまれにではなく見つけた。
ほんの一時期、純朴な人の集う田舎の大学街では
それが珍しくもなく。
当たり前と思い、この先何人でも出会えると思っていた。


そんなことは、その先さっぱりなかったのに。


ジュンパ・ラヒリのエッセイを読みながら
友に出会える時期は実はひどく限られていることを思う。


自分の感受性が摩耗したわけではないことを確かめるように
人は年老いても小説を読む。
そんな気がする。

 

 

志の輔らくごin Nippon

志の輔さん、パルコ劇場休館中に全国12都市を巡るという。

その10都市目の横浜で、ラッキーなことにチケットが手に入る。

あまり演劇的な趣向はちょっとなあ、と思いつつ

それでもやっぱり、いそいそと出かける。


3時間の間、前座もなしで大神楽長唄三味線の間奏はありつつ

3席の熱演で。

どの噺も小細工なしの真っ向の落語


志の輔質屋暦(新作)

長唄三味線:鉄九郎

志の輔モモリン(新作)

中入り

鏡味初音:大神楽

志の輔:紺屋高尾


紺屋高尾は、さて談春さんと同じくすぐりなのだけれど

強いていうなら久蔵の感情表現のせりふが違うのかな。

ここが、あっさりとしてテンポがいいのは志の輔さん。

たっぷりと引っ張るのが談春さん。

高尾太夫も、談春さんのほうがもっと勝気。


新作もテンポよく、練り上げられていて文句のつけようがない。


さて、談春さんとの違いなども楽しみながら

その後、チケットを取ってくれた人との落語談義も楽しい。


といいつつ、一度きた人はまた来たいと思い

人にも薦めるでしょうから・・・

チケットはそうそう手に入らない。


機会があれば今度は伊能忠敬の話が聞きたいなあと思い

やはり立川落語のテンポの良さ、同時代性は好き、とあらためて。


ほろ酔いで、いい宵(酔い)を。

ひいきの談春さんもそのうちこの円熟に至るかしら、などと

遠い彼方を透かし見る。

贔屓の落語会にて

どうやらチケット転売サイト抑止のためと思われるが。

 

引き換え券しか発行されなければ

指定席と違うので早目に会場にならぶのは人情で

それなのに入場したら外に出られず

かつ場内には売店もなく自販機もない。

こんなにぎやかな場所なのに、転売する少数者のために

圧倒的多数の観客が不自由をかこつ、しかもポップスコンサートならともかく

落語会なのに。

 

落語家なら、たかが落語会、と洒落のめしこそすれ。

 

 

なんだか野暮だなあ、と思っているところに

前のほうの端の席、中央よりの隣には体の大きな人がいて

なんだかんだで視界も遮られ、これなら2階席か一番後ろの方がましだなあ、などと。

 

 

冷えた心を温めるほどにはマクラは冴えておらず。

残念なこと。

 

 

ブルース・スプリングスティーンが自分のファンは労働者階級で

彼らの心情を歌う曲が中心だからとファン層が広がっても

チケットの値段を据え置き、それがもとで転売サイトの高値を呼んだ

そんなエピソードがあるなら、協力しようと思うだろうが。

 

 

なんだか納得がいかず。

さて、困ったものだと。

クライマックス寄席

年があけたのに年末の話題もなんですが。

 

年末の少々半端な時間の寄席。

終電を気にしてトリの途中で席を立つ

という無粋なことをしなくていいのは助かるが。

さて、この後の部に比べると時間も短く

出演者の持ち時間は少なく、時間に追われてせわしなく。

後半に比べてなんとなく損な気がする、という席。

あと30分早く始めればいいのになあ、深夜の部は3時間超なんだから。


はじまりも半端で、夕方、年越しそばをたべてくるには早く(店が中休み)

終わってからだといつもいく店にたどり着き、

小一時間行列して店に入れるのも21時半とちと遅い。


志の太郎:寄り合い酒

志の八:山号寺号

晴の輔:目薬

ダメじゃん小出:マジック

三遊亭全楽:持参金

生志:悋気の独楽

中入り

伝の会:長唄三味線

志の輔みどりの窓口

ご挨拶:全員


志の輔さんが、パルコの1か月公演の代わりに全国を回るので、

相変わらず年末のこの公演は気もそぞろと笑わせながら、

終演時間ぴったりにみどりの窓口を快調に飛ばす。


最後は手拭をまき三本締めで締める。

まずはめでたい会で、はずれがない。


意外によかったのは志の八さん。

マクラも気が効いていて本編も(持ち時間10分の割には)まずまず。

お客さんの反応を見ながらすかさずくすぐりをいれるなど達者な風情。


生志さんの蓮舫さんネタは、立川流の談志祭りで聞いていたので

二番煎じでがっかり。

鉄板ネタではあるのだろうけれど、そのあとの

ノーベル文学賞の話題もなんとなく嫌みが強い。


さて来年は誰の落語が伸びるのやら。

年末に気楽に落語を聞ける身分でありたいと思いつつ。

ネクスト立川流

成城ホールでの立川流若手の会。
これがシーズン2らしいのだが、4年前のシーズン1は
わずか2回で打ち止めになった、という話を
はじめの3人の座談(立ってしゃべっていたが)で聞く。


前回は行けなかったのでわからないのだが
今回は50人かそこらの観客で
高座を舞台よりはるかに前のほうに作り
これが丁度、上下を切る演者と目があう高さ。
演者によってはこれがかなり気詰まりとなる。


談吉:大工調べ(上)
吉笑:一人相撲(新作)
中入り
志の春:らくだ


談吉さんは、談志さんの最後のお弟子さん。
談志さん亡き後慣例に従い、別の真打につくことになり
いまは左團次さんのお弟子さんとか。
緊張していたのか、舌で唇をなめるのが気になったのだが
途中からはそれもなくなり、あぶなげなくまとめている。


吉笑さんは、春吾さんの会にゲストででたときが印象に残っている。
新作のセンスと、なんというか話をもっていくうまさがある。
この日も長めのマクラで、師匠の兄弟子、談春さんの話題で
盛り上がる。
立川流、最近だめで、知名度ゼロの代表だし、若手は成金に負けてるし、
と危機感を持ってトークライブで本音トークをしたら
談春さんに気にいられたらしく深夜に電話がかかってきて
「お前がもっていない金と政治力は俺にあるから思い切りやれ」
といわれたとか。
以来、バックに談春がいると思うと態度が大きくなるなどと笑いをとる。
落語は新作だが、古典といえそうな落ち着いたもの。


中入り後、時間の関係かマクラもなく志の春さんは「らくだ」。
以前別の会で聞いたのは爆笑系の新作だったので意外でもあり。
おまけにこの噺、もともとは暗い話なんだなあと感じてしまったということは
陰惨さや暗さをお客さんに感じさせてしまったということ。
あくまで落語なんだから、暗くなりすぎるのはNG。
やくざもすべて同じように聞こえてしまい最後は屑やさんまで同じに見える。
ちょっと残念。

というわけで、この日の収穫は吉笑さんのマクラ。
いろいろな話題や思いをぎゅうっと詰めて
さらに面白い話として成立させるところは、なかなか達者。


次回はないかも、というトークはありつつ。
楽しみに待つことに。

 

談志祭り

立川談志生誕80周年と銘打った談志祭りにゆく。

要するに談志なきあとの一門会。

今年で5回目か、年々落ち着いてきて派手な演出

(一門勢ぞろいなどの口上など)

はなくなり、座談会もあっさりしたもの。

 

恒例の一門会とはいえ、談志の一八番などというわけでもなく

それぞれ勝手に我が道をゆきつつ、談志の思い出をそれでも

なんとなく枕で語る、という。

唯我独尊、我が道をゆき、人の芸にもそれらしく独自であれば

納得させられればなんでもあり、と寛容であったこの人の弟子らしく。

 

それぞれなりにこの一年、成長、考えるところがあったのだろうな

などと思いながら、ある意味マンネリ化し始めたこの会に

なんだか居心地の良さを感じる。

 

平林:振り込み詐欺に気を付けろ、安来節

志遊:鮑のし

生志:看板のピン

談春:慶安太平記 吉田の焼き討ち

中入り

座談、談志音源

談之助:笑点

東京ボーイズ:歌謡漫談

談志楼:浜野矩随

志の輔らくご「牡丹灯籠」

志の輔さんの、今年でもう7回目だという夏の下北沢の恒例行事。
一度聞くともういい、と思う人がいるのか切符が取れて、でかける。



上演時間を確認せず、着物で行ったのは最大の敗因。
本編の後半は尻・腰が痛く、ほとんど集中できない。


とはいえ、一部の段を口演するのが普通のこの長編を
これだけ上手に編集して物語の全貌を伝えるのを目のあたりにすると
志の輔さんのある種の情熱と考えを感じる。


そのあたりは、赤坂ACTシアターでの大忠臣蔵と様子が違うように思う。
赤坂では、長い段を前半に芝居絵を使って1時間解説するのだが
どうしても落語ではないためテンポが落ちてだれる、
(あるいは圓朝のダイジェストを下敷きにしていないからか)
「解説」というかお勉強の要素が勝る。
わかりやすくはあるけれど、所詮は中村中蔵のための教養講座の前座、
一度聞けばもういいと思うところがあったが。


この牡丹灯籠はもう少し違う、」
落語の口演を、ものすごく集約し編集しているからなのか・・
これを聴いて、赤坂の口演の意味合いも、
私は少し誤解していたのかなと感じたことからすると。


お露のお伴の米は、志の輔さんの声で語ると随分な年寄りに聞こえるが
それでも、クライマックスのせりふの本当に怖いことといったら。


30時間の本編を、その本質を損なわずになんとか1回の高座で聞かせる、
これはそういう超人的な仕事。
寄席に毎日通う、ということのなくなった今の時代に合わせて、
10分の一の時間で、でも作品世界のすべてを味わってもらおうという
なんとも欲張りな挑戦。


さて、次はもう少しリラックスできる格好で
じっくりと聴きに行かなくちゃ。


次に聴く時までに、今回の口演をもう少し反芻して。
なにしろ、もぞもぞと生あくびをかみ殺した後半は、もったいなかったなあ。
上演時間はちゃんとチェックしなくちゃ、と思いを新たに。