ドラマ「赤めだか」

随分軽い仕上がり、と思ったのは
演者が二宮君だったせい、と思いいたる。
本人はもっと熱くてとがっていて多分へそ曲がり。
それがさわやかな好青年が演じるとこうまで軽くなる。
ちょうどいいリアル。


志らくさん役の濱田岳も出色の出来。
こちらは志らくさんらしいナードな雰囲気全開で
しかも今すぐ落語家になれそうな
所作といい口調といい、様になり方で。


ああ、なるほどね。
談春さんのお弟子さんに見たのはこういう次の世代の軽さ。


こはるさんは自分を称して
立川流で育ったので、オオカミに育てられた人間の子供みたいなもの」
というけれど。
いえいえ、師匠の口調やたんか、古典落語のうまさは
十二分に学んでいますから。
そのベースの上に、自分のものをしっかり組み立てれば
第1世代よりも時代に合った落語を作れるに決まっている。


このドラマ、実は次の世代の落語家とそのファンへのエールのように思えて。
あら、たまには師匠らしく大人で素敵なこと。
ちょっと褒めてあげたくなる、談春さんを。

一之輔 小三治 二人会

面白い組みあわせ、とチケットを手配する。

送られてきたチケットをしげしげと眺めると

あらら、一番端の席。


開口一番は柳家小はぜさん。

一目上り。あぶなげがないので、それなりに年数を経ている模様。

次が一之輔さん。

高座に上がってしばらくは、なんだかおたおたと。

どうやら浅草の定席から駆け付ける際に

浅草線から京急にはいる電車を間違えて

蒲田から羽田空港を回ってきた様子。

さすがに焦り(これが百栄との会ならともかく、と毒を吐きつつ)

高座に上がる15分前に横浜市内の最寄り駅につき、ダッシュをして

10分前に楽屋に駆け込んだとのこと。

小三治師匠との二人会に、それはやっぱり焦って心臓ばくばく、と。

クリスマスハロウィンの話とご両親とのクリスマスの思い出話から

すっと笠碁の世界に入り込む。

おや、一時期の談春さんみたい、と思いながら聞く。


中入り後、音曲柳家そのじさんが三味線であれこれと。

太鼓は一之輔さんとか。

クリスマスソング賛美歌がはいり師走ムードたっぷり。


さて、トリの小三治さんはうどん屋。

ちょうどBS落語解説をした番組で先代の小さん師匠

うどん屋を聞いた後だったので、ほほう、と興味深い。

こういうネタでトリをとるというのも大師匠の貫録かしらん。


とはいえ、二人会なのに1席ずつというのが

談春ファンからすると少し物足りなくて。

なんとはなしに、次の会を物色するこの頃。

ドクタースリープ

久々にキングの新作を読んだのは

この作品が、かの「シャイニング」の続編だと聞いたからに外ならず。


シャイニング=輝けるもの、そして特殊能力者。

いわゆる超能力ものなのだが、

むしろ見えてほしくないものが見えることからくる不安定さや、

特殊な力を持つが故の、そしてその扱いについての

ガイダンスをする人のいないことからくる不安定さ、

そんなものが物語にからまる通奏低音のようなもの。

ある時期が来て、かつて自分を導いた人がいたように

自分が導きをしなければならなくなった子供との出会い。

それによっても、自堕落な自己と決別する主人公の

物語でもある。


もちろん大衆的な人気作家としてのキングだけに

物語の完成度、スリルやエンタテイメントとしての

物語の強力な軸も存在し、それが真結族という名の

輝きをもつ子供の命気を吸い取って生きる、吸命鬼のような

一族の存在であるのだが。


シャイニングを読んだ時期を振り返りながら

それなりに自分の来し方を振り返る。


それほど特殊な能力はないにせよ。

あなたはいったいどうなの、とつぶやくように。

談志祭り 2015

談志さんの命日にあわせて

新真打のお披露目を兼ねてゆかりの読売ホールで。

1日半、3公演の興行であわせて5人の真打が巣立つ。


今回聞きに行ったのは、談春さんのトリ、初日の夜公演。

新真打は左談次さんのお弟子さん、談奈改め左平治さん。


キウイ:寿限無

談修:目黒のさんま

雲水:犬の目

左談次:天災

中入り

口上:雲水、談春、左談次、談之助、左平治

談之助:とんちき(禁制落語53のうちの1つ)

談春:三軒長屋


足を骨折してまだ痛そうな左談次さんを指し

左平治さんを真打にするにあたり相当骨を折った

と口上を述べた司会の雲水さんを、口々に「うまい」

といいながら、なんでそんな気の利いたことを言えるのに

高座ではあんな危ない話ばかり、などと突っ込みがはいる。


この先はいばらの道ですが、1本道が伸びています

などと褒めているのかけなしているのかさっぱりわからない

それぞれの口上のあと、3本締めで門出を祝う。


これからいくつかのホールをまわり

披露興行を自分で打つのだが(プロモーターを頼む金がないとかで)

2千名を動員しなければならない、などと左平治さん。

これが落語協会落語芸術協会なら、お金はかかるものの

舞台は席亭が用意してくれる。

システムにのっかれば披露興行の舞台はお膳立てされているし

プロモーターは最初からセットのようなもの。

が、立川流はまずはそれすら自分で切り開け、ということか。

確かにいばらの道ともいえるが、どのみち

自主興行で席を売らなければ、先があるわけでもない。


いやいや。

売れっ子の先輩がゲストで出てくれることもあるのだろうが

それにばかり頼っていても先がないだろう。

小さな会でファンを増やし、地道に精進しなければ、ということか。

読売ホールの、多くの談志ファンの前で一席できるわけでもなく。

同じ落語家になるにしてもサラリーマンとベンチャー企業くらいの差。

そう思うと、厳しいなあ、と。


談春さんの三軒長屋は熱演ながら時間も足りず

体力も切れたのか、途中であっさり落としてしまう。

好きな話だけれど残念なこと。


どこかでまた聞けるかしらんと、そんなことを思いつつ。

有楽町の夜はふける。

猿之助さん スーパー歌舞伎 ワンピース

猿之助さんのスーパー歌舞伎

さすがに際物だなあ、と思いつつ見に行ったが

これがなかなか。

エンタメの王道とは、とかお金をかけてがっつりやる

というショーアップのやり方について

ずいぶんと感じるところがある。


多くの人(数万人単位)のひとを集めるには

やはりこういった、あらゆる仕掛けを思い切って仕込み

決してつまらなかったといわせない、という気迫と

万全の準備をした後は、批判があってもやりぬく気概が

必要なのだろう。


まだ若い当代を支える一門の熱気もすごい。

エンタメは、生半可なことではやれないと、ただ脱帽。

 

振り返って、少々アドバイスしたい人が。

膨大な長編の一部を取り上げる際の

あらすじの伝え方にもセンスがある、ということ。

届くといいけどね、このアドバイス。

 

こはる ぴっかり女流会

対照的だといわれる2人だが

某所のアトラクションにて2人の並びで拝見。


片や小朝師匠のお弟子さんで

女子力高そうな、テレビ受けしそうな、春風亭ぴっかり


片や強面の談春師匠の一番弟子にして一門の弟子の中の唯一の生き残り

可愛らしい女子のはずが、男物の着物姿にベリーショート

声を潰してドスを効かせて師匠談春ばりの啖呵を切る、立川こはる


ぴっかりは「動物園」。

ちょいと今風にアレンジした上に、玉すだれを使ったかっぽれまで披露

対してこはるは「真田小僧」で真っ向から男噺。

その後にクイズと称して、魚のかたわらにつく絵のような字のようなものから、

魚の名前をあてさせるとんちクイズのようなものを。

正直、景品の設定は面白いものの、それほど論理的でもなくツボに入らない。


とはいえ。

落語は2人とも正統派。かつ高齢者向け○○教室の余興ということも

十分わかったうえでの工夫もあって。

中学校の体育館にパイプいすをならべての、底冷えのする雨の土曜日。

めくりも自分でめくって、出てくる場所は体育館の扉の外。

ブラスバンドの演奏やら、地元の警察署の詐欺防止の啓発教室の後に

と2つ目らしい営業にも気を抜かず。

頑張っているなあ、と思わせる熱演で。


そう、どの世界でも、この下積みの時間の過ごし方と了見が

その後の職業人生を決めるようなところがある。

焦らず、たゆまず、腐らずに。どうぞご精進を。

村野藤吾の建築展

駆け込みで終了間際の目黒へ。

模型、模型、模型。

研究室の大学生、大学院生を総動員したのか

また、出来不出来も多い模型群。


アンビルドの女王といわれる建築家もいることを考えると

立面の模型を作るのに難儀するたぐいの設計図があるのだろう。


諸事情で建てられなかった設計図どまりの作品?もある。

この模型で(あるいはこの展覧会のためのプロジェクトで)

はじめて日の目をみるというのも

不思議なめぐり合わせではある。


建築を学び設計する人間だけが

設計図から完成する姿を思い描けるとしたら

模型はそれを一般人にも見せてくれる

ひとつの翻訳でもあるのだろう。


こうやって、先達の想いや思想を設計図から読み取り

その業績を想像できるのもまた、同じ設計を志す人間なのだ、

とあらためて思う。

過去に学び、先達の想いや志に学ぶ。

それをここでも。